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【全てを疑え】聖書が削除・誤訳・改竄されていると言い続ける理由。

聖書には霊的価値があり、文字通りに解釈してはいけない。

読む価値があるからこそ、悪用・改竄・削除されやすい。


 
こんにちは、黒塚アキラ(@kurozuka_akira)です。フラットアースを知った当初は聖書に価値を置いていましたが、今は程々に聖書を読む程度にとどまっています。毎日少しずつ聖書を読みながら、聖書の謎を調べます。
 

 

この世に隠されている欺瞞・茶番を調べれば調べるほど「神の実在」を感じ、同時に「神の実在」を隠す存在が無数にいることを思い知ります。

 

 

世界の様々なエンタメは聖書的でもあるし、また一方で反聖書的信仰も根強い。聖書を基にした作品が爆売れしたり、反聖書的象徴やハンドサインも爆売れします。(うんざりします)

 

 

支配層たちが神の存在を隠し神に反逆するのはまだ分かるとして、反聖書信仰を広めつつ聖書の改竄・誤訳・削除を行うのはなぜか?一人でも多くの人間に聖書を読ませないようにしていると思っていたが、聖書は世界一売れている作品。

 

 

彼らの聖書に対する行動理由が全く腑に落ちません。いや、もしかしたら聖書が最も多く売れてしまう事は彼らにとって予想外で、だからこそ誤訳改竄を広めて国民に聖書の霊的価値を教えさせないようにしているのかも…?

 

 

聖書の謎を考えたらキリが無いですが、この世界の根幹は聖書の内容で成り立っていることも事実。彼らは何を隠し何を改竄して国民に誤解を広めていっているのか?そう考えると、ますます聖書は文字通りに解釈してはならないことになります。

 

 

今日の記事は、聖書に対する誤解・改竄・削除と、聖書主義の危険性について語ります。

 

聖書66巻を読破しただけでは、福音を信じ実行したことにはなりません。聖書主義に陥らない為にも、聖書の謎や嘘について幅広く見識を深める時間が必要です。

 

 

キリスト者・ミカエル氏「聖書には誤訳・誤解が多い」

ミカエル氏のブログ「真の聖書福音と預言」は絶対読みましょう。彼の記事を読み、和服生活を始めました。

 

キリスト者になることを本気で考えるならミカエル氏のブログを読まなければ始まりません。これからの世界で生きていくには強い信仰心と実践力・忍耐力が必要。彼のブログを読んでも足りないぐらい、世界は危機的状況です。

 

 

これは危機感を煽っているブログではなく、「日本人ならこれぐらいの覚悟は必要」という内容です。彼のように徹底的に聖書を通読している方ですから「聖書の盲信は禁物」とおっしゃっており、動画や記事を複数投稿しています。

 

 

聖書は意図的に改竄と誤訳が行われている。

 

 

聖書は六十六巻が正典とされており、新共同訳や聖書協会共同訳で旧約聖書続編付きでもなければ、旧約聖書と新約聖書を合わせて六十六巻とされて出版及び販売されてる。しかし、これらは明らかに誤りであり、実際はもっとあるんや。

 

 

他の書物はローマ・カトリック(バチカンの図書館に眠ってるかもしれへん)、ユダヤ教団、グノーシス主義者、秘密結社、ロックフェラー家といった大富豪ども(死海文書の管理にロックフェラー家が関わり、エルサレムにあるロックフェラー博物館の管理下にあるのは周知の事実)によって隠され、改ざんされ、破棄されたからや。

 

 

勿論、カトリックやイエズス会も絡んでるであろう。カトリック、イエズス会、ロックフェラー等の悪魔崇拝者たちの嘘つきが本来聖書に収録されるべき書物を公開してへんし、死海文書も隠さず全部公開してるとたとえ言うたかて、信憑性がある訳ない。散々嘘をつき、世界を悪くしてきた人たちやさかい。一般公開されてるのは、彼らにとって問題無いと判断されたもののみで、不都合なものは全部隠したか、改ざんしたか、破棄したかと考えるのが妥当。

 

(略)

 

六十六という数字はフリーメーソン等の悪魔崇拝者が好きな数字や。三十三がフリーメーソンの最高階級の数字であることから彼らは三十三という数字が大好きであり、現代の報道でも三十三という数字をでっち上げてわざと誇張してんのが目立つ。

 

また、六十六は三十三の倍数であり、他には十八(六が三つで、666を暗示するため)や十一、二十三、四十六等とこのような類の数字はフリーメーソンやイルミナティ で重視されてるため、世の支配層たちは好む。せやから、遠い昔に彼らが意図的に多くの書物を除いて正典を六十六巻にまで減らしたと考えるのが相当である。

 

(略)

 

聖書のほんの一部を知ってるだけとか、聖書を曲解して偽教義を盲信しとるくせに自分は立派なキリスト者と勘違いしてる者こそ、少ない知識に溺れて自己満足してる愚か者と言えよう。

 

パウロは真のキリスト者とは程遠いし、キリスト教の盲信も禁物。

 

まず、パウロの経歴について。

一、ローマ属州の一つキリキア州のタルソス(現トルコ)で生まれたことにより、生まれながらにローマ帝国市民権を持ち、人種・民族的な点ではイスラエル十二部族の一つであるベニヤミン族出身であると自分で語った。

二、ユダヤ教のファリサイ派に属した。

三、律法についてガマリエルというファリサイ派の教師から教育を受け、神に仕えたと自分で語った。

四、キリスト者を縛り上げ、投獄し、殺害をも厭わず、迫害して回った。

五、キリスト者であるステファノの死にも同意しとった。

六、ダマスコのアナニアという近くに住むすべてのユダヤ人から好評で律法に忠実な信心深い人が、パウロに手を置いて見えなくなった目を見えるようにし、洗礼も行った。

七、洗礼以後、パウロはキリスト者になり、ユダヤ人たちを説得すべく励んだ。

 

(略)

 

パウロは、回心前はサウロという名であり、それが本名や。ちなみに、サウロという名は、旧約聖書にも登場する古代イスラエルの初代王サウルと同一や。英語では共にSaulと表記するし、原語でも同じ単語である。Saul(サウル、サウロ)という名には、desired(望ましい、望まれた)という意味がある。

 

彼らはサタンや異邦人にとっては望ましい人やったと言えるやろが、真のキリスト者になるには躓きになる存在。

 

過去に拙者はサウルとダビデと比較する記事を書き、サウルをあかん見本として反面教師にするように書いた。サウルもパウロの本名であるサウロと同じ名であり、同じように見るべきであり、決して全面的に盲信するべきではないであろう。

パウロ(サウロ)とサウル王の共通点

・名前が同じ
・ベニヤミン族という出身部族が同じ
・自分が小さい者(サムエル記上九章二十一節、コリント一 十五章九節)と言うた(更に、パウロという名の意味が「小さい」であることも偶然ではない)。
・最初だけ謙虚に振る舞ったが、嫉妬深く、後に傲慢になって主に逆らった。
・行政権力を持った(サウルは王としての権力を持ち、パウロは領主ヘロデや大祭司等からキリスト者を逮捕及び投獄する権力を与えられた)。
・主なる神に従ったが、結局は悪霊(サタンの使い)に苛まれたのも同じ(サムエル記上十六章十四節と他多数、コリント二 十二章七節)。

 

(略)

 

よって、現代にまで伝わる所謂「キリスト教」は、「パウロ教」と言い換えることが出来る。もし主イエス・キリストの教えとするなら、律法は断じて廃止せえへん筈やし、今でも守らなあかんし、古代イスラエル色、古代ユダヤ色、即ち、古代イスラエルを継承する古き日本らしさを維持する必要があり、西洋かぶれは断じて許されへん。

 

 

西洋かぶれの悪さは拙者が過去にも散々言うてきたとおり。未だに当ブログ読者の多くが理解して従おうともせえへんやろがね。それがあかんのや。

 

聖書や神が定めた律法に従ってるかどうかという神による見えへん目線や評価よりも、悪魔崇拝者が広めた世俗の悪習慣や周囲の滅びゆく人々の目線や評価を気にするんやから、その報いを受けることになるであろう。

多数派は反キリストであり、最後には滅びる。

 

本物のキリスト者を目指すなら。

 

 

キリスト者とは、主イエスの弟子であり主イエスを師として従う人間を指します。本来、これは当たり前の定義でありますが、最も軽視されていることでもあります。

 

自称キリスト者は聖書に書いてあるとおりの教えに則って生活しておらず、世俗に深くはまって金銭欲、支配欲、名誉欲、物欲、不自然な性欲等を捨てることがないし、品性も行いも改善していないし、改善しようという意志さえ持っていないからです。

 

要するに、彼ら彼女らは自分たちの耳触りの良い部分だけを取り入れてはいるが、この悪い世の中を生きていく中で不都合な部分を無視したり、周囲の目や評判を気にするが故に神の律法に従わないでいます。特に、神の律法、掟、戒めを蔑ろにしている自称キリスト者の何と多いことか。

 

(略)

 

奇跡、癒し、異言、悪霊追い出し等をできるようになった、又はそれらをしてもらったからといって救いは約束されていません。ただ主イエスに対する信仰を持って神の律法、掟、戒めを守り続け、いかなる艱難や苦難にも忍耐し、神の御心を行い、死ぬまで主イエスに従順であり続けた結果に永遠の命という命の冠がようやく授けられるのです。これが真理です。神の御国に行く人は、信仰を持って実際にこのような行いをする人です。

 

(略)

 

既存の日本語訳が無謬だなんて思い込むと道を逸れますので十分注意してください。このことで私は聖書が間違っているとか、存在価値がないと言っているのではなく、日本語訳聖書を鵜呑みにしてそれを基に作られた偽りの神学や教義を盲信する危険性について述べているだけです。

 

 

聖書は聖霊の導きで書かれたので内容に間違いないですが、現代において多く出版されて普及している聖書には間違った哲学を反映したり本来あるべき語句が削除された間違った底本が採用されており、翻訳に間違いが多いのです。

 

ミカエル氏の言葉をほんの一部紹介いたしました。全文は彼のブログをすぐに読んでみてください。キリスト者について真面目に本気で考えるなら彼のブログは避けて通れません。

 

 

聖書を複数回通読した彼ですら、聖書の嘘について指摘していました。聖書の原典や言語で直接読んでみたいですけど、いち庶民には中々難しいですね。聖書66巻以外の内容はネット上にちらほら残っていますが、やはり世界の核心を突いた内容は表に出てくることは無いです。

 

 

キリスト者を目指すなら聖書通読は必須。

 

しかし聖書の謎や誤解・削除・誤訳について徹底的に調査しなければ一生無知のまま人生を終えてしまいます。ちょっとした奇跡なら聖書読者(フラットアーサーなど)にはありがちのようですが、それだけで救いは確約されない。

 

 

にわかキリスト者に絶対陥らない為にもミカエル氏のブログから謙虚に学び、実践し、出来る事を今すぐ始めなくてはなりません。彼のように自分を律し、忍耐力をもって自分の生活を正したいです。今すぐ「真の日本人」にならなくては世界的茶番は終わらないのだから。

 

「ヒマラヤ聖者の生活探求 第3巻 因果の超克」から。

聖書以外にもキリストの痕跡は無数に残っているはず・・・?それが「ヒマラヤ聖者の生活探求」。

 

最近「ヒマラヤ聖者の生活探求」を読んでいるのですが、聖書・キリスト教についての誤解・曲解の指摘がいくつかあります。フラットアースを見つけて多くの茶番や欺瞞に気づいたからと言って、聖書やキリスト教と安易に結びついて依存するのは危険。

 

 

聖書が原文から今の形に翻訳される際に、丁度多くの偽りの予言のように多くの誤りがありました。それは翻訳者たちが自分の取り組んでいる文字や象徴について理解が欠除していたためです。

 

しかし彼らは一応良心的ではあり、理解しうる限りたくみに訳出はしてあるので、その程度の誤りは一応は寛容できるけれども、それ以上の大部分が、『イズラエルの家』の原始福音を神秘めかし、歪曲し、破壊するために仕組まれた唾棄すべき虚偽なのであります。

 

 

この辺りは、地動説(悪魔崇拝)を妄信する神父たちが無意識に悪魔崇拝の知識を広める構図と似ているような気がします。人間を効率よく管理するには、宗教組織と神話化された聖書が必要だったという事ですね。

 

 

聖書やキリストの歴史や経緯を意図的に改竄しキリスト教を巧みに操作すれば、あとは後世の信者たちが勝手に別方向に盲信してくれるのだから支配層は笑いが止まらないでしょう。

 

 

聖書を読むことには霊的価値があるからこそ改竄されていったのがよく分かります。削除・破棄・改竄された部分の真の内容を知りたい!欲しい!もっと聖書に触れたいのに出回っている内容だけでは限界がある。悔しい!(笑)

 

 

「ヒマラヤ聖者の生活探求」の記事はこちら。

 

 

聖書を読むだけではこの世界の成り立ちや歴史を全て知ることは出来ないし、支配層たちが何を企んでいるのか真の目的を推し量ることも出来ません。彼らは神や聖書を徹底的に知り尽くしているからこそ歴史・科学・学問等あらゆる知識を改竄しています。

 

 

私達がもっと賢くなり忍耐しなければ、無意味に殺されるだけです。ミカエル氏が何度も何度もブログ内で言っていますが、「無知は罪」です。まだまだ調べなければならない事がたくさんあります。

 

フラットアース論第一人者・Eric Dubay氏「聖書の隠された意味」

聖書は言葉通りに読んで信じてはいけない。聖書は暗号である。

 

「聖書は文字通りに読むべきではない」と以前記事として投稿しましたが、その姿勢は今も変わりません。単なる人類史の物語、神話として楽しむだけでは聖書を読んだとは言えません。

 

 

フラットアース論の第一人者・Eric Dubay氏の大胆な理論から学ばなければなりません。私達はあまりにも多くの事を知らされないでいます。まずはいったん受け入れてみることをお勧めします。

 

 

聖書を言葉通りに読んで信じてはいけない。

 

 

ヘビや茂みを話す、処女が出産する、キリストの体を食べる、スタッフが蛇に変わる、その他の多くの聖書の「奇跡」はすべて、実際には古代の精神的象徴であり、世界中の多くの文化や伝統に見られ、数千年前のものです。聖書よりも、歴史的な出来事ではなく、心理的な現象に言及しています。

 

コリント3:6は、聖書を文字通り読むべきではないと明確に述べています。過度に活発な左脳で文字通り聖書を読んでいる現代の原理主義キリスト教徒は、全体の要点を失っています。

 

60万人の奴隷がエジプトを離れてイスラエルに向かったという歴史はありません。それは決して起こらなかったからです。そしてイスラエルはかつて実際の場所ではありませんでした!

 

それは、イシス–ラー–エロヒムの3つの神の名前であり、Is-ra-elと短縮されました。モーセが語った本当の約束の地はあなたの耳の間に存在します!使徒7:48は、「最も高い所は、手で造られた神殿には住んでいない」と述べています。

 

人間の手によって建てられていない唯一の寺院は、目の後ろ、耳の前にある2つの寺院です。コリント人への第一の手紙第3章16節で述べられているように、「あなたがたは神の神殿であり、神の霊があなたの内に宿っていることを知らないのですか」

 

ローマ人への手紙第2章29節は、次のように述べています。割礼は心の割礼であり、精神の割礼であり、手紙の割礼ではありません。」それ以上に明確になることはありません。聖書は割礼は陰茎ではなく心臓のものであると言っています!

 

文字(文字通り)ではなく、精神(象徴的)に焦点を合わせるために!そして、そのユダヤ人は、人種や宗教ではなく、内面に焦点を合わせている人、内なる神を求める人、瞑想者、祈りです!

 

神は他の人よりも人種を選ばず、神の「選民」は単に献身的な瞑想者です。

 

イエスが33年間生きた理由は、ソロモンの最初の神殿が33年間手付かずであったのと同じ理由であり、カインド・デイビットが33年間統治し、リアには33人の子供がいて、フリーメーソンには33度あり、アトラスはあなたの33番目の椎骨です。聖書の精神的な数秘術と象徴性は、目で見る人のためにあります、

 

フラットアース系ツイッタラー達は「聖書を読めば救われる」「福音さえ読めば救われる」「携挙されるから安心」「イエスを信じれば安心」と、「○○すれば□□を無条件で得られる」と個人的利益信仰にハマっているように見えます。(携挙は後世の人が創作した設定です)

 

 

また、数々の不幸なニュースを見て「エゼキエル戦争は近い!神の国は近い!」と盛んに扇動し不安を押し付けてきます。彼らの情報は一部分は(真実探究の為に)有益ではあるけど、親しい友人にはなれそうにありません。

 

 

フラットアースを知った当初は画期的かつ衝撃的な事実のあまり、聖書やイエスを妄信したくなる気持ちも分かります。事実、私もそうでした(笑)でも「○○すれば□□を無条件で得られる」は他のカルト宗教と同じ理屈です。

 

 

ちょっと聖書を批判しただけで猛烈に叩かれそうな勢いなので、Twitterには書かずブログだけに留めておきます。色んな考え、色んな角度から調べてみても良いじゃないか!(笑)なぜ聖書だけ聖域扱いなのか。聖書に謎が多いのは今まで紹介した通り。

 

 

もっと色んな人との柔軟な態度での情報交流・意見交換の場が必要ですね。

 

日本人のフラットアーサーが「聖書改竄」を信じない理由


 

日本人特有の純粋さ、騙されやすさを利用されているのでは?もっと賢くなりたい。

 

海外発祥の「フラットアースムーブメント」は、当初、私自身冷笑する立場でした。「天動説を信じてるなんて、これだから外人はw」といった風に。しかしそれは大きな間違いでした。

 

 

日本人のモラルや知性が地に落ちるほど破壊された今、もっと謙虚に海外から学ぶべき内容がたくさんあり、フラットアースからの歴史探求については周回遅れは否めません。

 

 

また、海外のフラットアース論と日本のフラットアーサーのコミュニティの質が大幅に違う部分があります。それはあまりにも聖書を妄信してしまうこと。福音さえ信じれば、の個人利益信仰です。

 

 

フラットアースに気づいた人は当ブログに辿り着くことになるでしょう。しかし我々は地上平面説に気づく以前に、散々「キリスト教の欺瞞」や「聖書改竄」の話を見てきてはいなかったでしょうか?各自色んな場所で目にしてきたはずなのに、フラットアースを知った途端コロッと騙され「聖書最高!聖書以外クソ!」となっていないですか?

 

 

人を疑わない、純粋な日本人特有の性格が「聖書盲信状態」を生み出しているように思えてなりません。何かにすがる依存体質、依存からの安直思考も日本人特有の気質があります。もしかしたら海外勢にもそんな人間がいるかも知れませんが・・・。

 

 

こちらは別のサイトですが、聖書の改竄は1世紀から始まっていた説を取り上げている内容です。

 

 

こうなってくると、つい最近の悪党どもがコソコソ改竄活動に勤しんでいた程度では済みません。新約聖書の時代から悪党が存在し頑張ってコソコソ改竄されていたと思うと腹が立ってきます。

 

 

聖書の改竄は1世紀から始まっていた?

 

 

第二コリント2・17は、パウロの時代に「多くの者たち」が聖書を改ざんしていたことを述べています。

「なぜなら、私たちは、神のことばに混ぜ物をしている、あの多くの者たちのようではないからです」(第二コリント2・17)

 

現代の多くの学者たちは、聖書本文の「異なる読み方」のほとんどは、意図的に行われたことを認めています。実際、ギリシャ語写本の中に見出される「異なる読み方」のほとんどが紀元200年までに入り込んだことを示す証拠があるのです。

スクリブナー博士は、こう述べています。

「新約聖書がこれまで受けてきた最悪の腐敗(改ざん)は、それが編纂されてから100年以内に始まったものです」注3

それから半世紀以上の後、コルウェル氏もそれに同意して、こう述べています。

「圧倒的大多数の『読み方』は、紀元200年より前に創られました」注4

G・D・キルパトリック氏は、こう述べています。

「ほとんどの意図的な変更は、すべてではないとしても、紀元200年までになされました」注5

 

このように、意図的な変更が聖書本文中に挿入され、新たな「異なる読み方」が創られることは、紀元200年までに、ほぼ終了していたのです。そして、それ以後は、それ以上の害を被ることは、ほとんどなかったのです。こうして、古代のものをよしとする仮説は破棄されているのです。

 

占星術・降霊術を捨てきれない人間たちが意図的に改竄を始めていた。私たちの手が届かない遥か昔から。だから文字通りに読むことは危険であり、盲信も危険。そして更に現代支配層が改竄・誤訳を広めていると思うと・・・。聖書の謎を注意深く調べなければ、聖書を完全に読破出来ません。

 

情報の全てを疑い、全てを丁寧に調べていく。

世界は欺瞞と茶番に満ちていて、本当にウンザリ。だからこそ信仰を捨てずに忍耐。

 

世界は聖書の通りに進み、また反聖書・反キリスト信仰を広めている。それは神の実在を証明するものでもあります。こんな世界、本当に嫌になっちゃいますね(笑)あらゆる物の全てが、国民を迷わせ、眠らせ、殺そうとしているのだから。

 

 

聖書が一字一句改竄されていないと信じることの方が無理があり、聖書すらも疑っていかなくてはなりません。世界を知るには聖書の完全通読が必須であり、聖書の謎を深く調べていく必要性があります。

 

 

それでも、聖書を読むことには価値がある。

 

 

あらゆる歴史、学問、宗教、法則、公式、常識、流行、音楽、娯楽、医療が茶番であり洗脳。聖書だけが一切穢れの無い特別な聖域であれば何も困らないのですが、漫画のようには上手くいかないのがこの世界(笑)本当に面倒。

 

 

もっと色んな角度から調べ、学び、意見交換と情報交流が必要です。真の日本人としてどうあるべきか、まだ学ばなければなりません。一つ洗脳が解除されたら、また別のモノに飛びついてしまわないように。真実探究をさらにもう一歩、進めましょう。

 

 

聖書改竄・改訂・誤訳が世界中の人間を迷わせている。聖書の謎を知りたい。

 

 

ここまで記事を読んでくださってありがとうございました!


 

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最終更新:2024年11月26日 @ 22:20

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