【ヒマラヤ聖者の生活探求】キリストは調査団に語る。地獄・悪魔とは?神とは?

人間自身が悪魔に力を与えている。悪魔に生きる場所は最初から無い。

矛盾した思想を追い出し、真実の愛の根源に目覚めたい。

 
こんにちは、黒塚アキラ(@kurozuka_akira@Akurozuka2)です。東京五輪がついに開幕。開会式はイルミナティ全開でしたね(笑)記事に書くのは面倒なので割愛。悪魔崇拝に力を与えるような行動や言葉は辞めようと思います。無関心が一番。
 

テレビでは東京オリンピックで盛り上がっていますが、それでもブログ記事執筆と投稿は続けます。見たい競技だけ見て、それ以外は本来の仕事に集中したいです(笑)スポーツはほどほどに見るのが一番。

 

 

 

そして先日の開会式は相変わらずの悪魔崇拝のシンボルだらけでした。キモっ。

 

ムーンショット計画やアドレノクロム的要素、フリーメイソンや災害予言など様々な薄気味悪い演出が多く、とにかく気持ちが悪い。噂では開会式の最中に災害を起こす計画があったとか。会場でコルナサインをする人間もいたし、不気味で不愉快です。

 

 

それをわざわざ指摘して発信すると「頭がおかしい」と言われそうですが、悪魔崇拝の祭典を何も考えずに見ている方がおかしいです。ピクトグラムくんだけは最高でした!(笑)

 

 

 

でも私達は悪魔崇拝やイルミナティに力を与えてしまうような行動や発言は慎まなくてはなりません。無関心でいることが必要です。人間の妄想や矛盾した思考が悪魔に力を与えているからです。

 

 

悪魔崇拝に関する知識は必要だけど、あえて発信しすぎずに静かに流していく。敵はもともと矮小でくだらなくて何の力も無い。「巨大で恐ろしいものが支配している」と大衆に巧妙に思わせているだけ。

 

 

この世界は神のものであるのなら、悪魔なんて概念は人の想念の中にあるだけなのです。支配層たちは、悪魔の概念を人間の想念の中で再生産させ続けています。

 

先日投稿した記事はこちら。

 

 

先日の記事に続き、イエス・キリストと対面・会話した「ヒマラヤ聖者の生活探求」著者たちの様子について。

 

ヒマラヤの奥地で出会い、キリストは地獄・悪魔、そして神という存在の正体を著者の調査団に語りました。全ての陰謀論を吹っ飛ばすような衝撃を受けること間違いなし。

 

 

【キリストは語る①】地獄とは?悪魔とは?

「ヒマラヤ聖者の生活探求」の著者はじめ調査団の一行はキリストに会い、悪魔や神について質問しました。

 

「ヒマラヤ聖者の生活探求」を偽書かどうかの話し合いになると、この記事の存在意義が無くなります(笑)

 

キリストが今も肉体のまま生きているわけがない、見たことが無いから地上にいるわけがない、と考えているとこの話は一気につまらない空虚なものになってしまいます。

 

 

 

しかし地獄・悪魔に対する見解は目を見張るものがあり、適当ななんちゃってチャネリングや幻覚だとは思えない明確な回答です。

 

著者も「ヒマラヤ聖者の生活探求」の内容については信じなくても構わないと言っていますので、これらの発言を信じなくても全く問題ありません。信じない方より信じる方が難しい道ですから。

 

 

 

さて、問題の「地獄・悪魔」の話は地球説的価値観を覆すような内容です。

 

直接フラットアースに言及しているわけではないですが、球体説で考えると再び頭が混乱してきますよ。(翻訳者・著者たちは地球説を信じている可能性があるけど)いったん頭をカラッポにしてみて、全ての常識を取っ払ってみてからご覧ください。

 

 

著者たちは確実にイエス・キリストと遭遇している、と私は信じます。

 

 

前回は、「地獄や悪魔の住家などあり得ない」とイエス・キリストが断言しました。この地上にも地中にも存在しないと明確に否定しています。そして、その直後に調査隊員たちに語った内容をご紹介。聖句にも一部触れているので、聖書に対する解釈も変わります。

 

 

 

今度は他の科学的伝説を取り上げることにして、下に降りてみよう。

 

さて、この伝説に従えば、地球は表層から少し掘り下げたところでは、溶けた塊になっていて物凄く熱く、どんなものでも溶けてしまう。この真中にある溶塊は外側の地層よりもおそい速度で回転していて、この二つの相合うベルト地帯が自然力の発生する場所だとされている。

 

従って、ここにもまた神の御手が一切を統べ給うておられる。してみれば、ここにも魔王の住む場所はないわけである。

 

というのは、一番暑い所か一番寒い所にいづれかに住みついてやろうとしたところで、暑さも寒さも同様に体力を消耗するものであるから、ひどく住み心地の悪いことを思い知るに違いないからである。

 

こういうわけで、いかなる場所を調べてみても魔王の住家は見出せない。してみれば、魔王は実は人間のいる場所にいるのであって、その力にしても人間が与えたものであると断定しなければならない。

 

わたしが追い出したのはその個人の逆境であったのである。

 

あなた達は、わたしが或る男から悪魔を追い出し豚の群に入れて海の中に身投げさせたと、片時でもそう考えるのだろうか。本人自身で造り出したのでない限り、わたしはどのような人にも悪魔を見たことはないのである。

 

わたしが悪魔に認めたことになっている支配権にしたところで、実は人間自身が与えたものであったのである。

 

 

過去記事では「悪魔は存在しているのかも…?」と思っていましたが、どうやら意見を変えたほうが本来の人間らしい生き方が出来そうな気がします。地獄や悪魔におびえるのは正しい生き方とは思えなくなりました。

 

 

この地上にも地中にも悪魔は存在しない、キリストですら悪魔を見たことはないのだから。人の心の中にしか存在しない。悪魔に力を与えてしまってるのは人間だと気づいた以上は、Twitterなどで陰謀論の情報収集していると逆効果になってしまうかも知れないですね。

 

【キリストは語る②】神とは一体誰の事か?何のことか?


 
その後、ある隊員がキリストに「神とは一体、誰のことか、又は何のことか、ということについて知りとう御座います。」と質問しました。
いよいよ、キリストは神について語りました。かなり長くなります。

 

神とは現に存在するすべてのものの背後にある原理である。ものの背後にある原理とは大霊である。

 

大霊とは全能、偏在、全智である。神はわたしたちの周囲に見られる一切の善きものを直接に生みだし、且つそれを支配している原因でもある唯一心である。

 

神はすべての形あるものを支え結び合している一切の真実の根源である。神は非人格的な原理である。

 

神は個人に対しては人格的な愛深き父にして母となるが、その他には決して人格的ではない。個人にとっては神は人格的な愛深き、すべてを与えてくれる父母にもなり得る。

 

神は空の何処か天国といわれる場所に定着し、王座に坐って死後の人々を裁くという、何か偉い者になるのでは決してない。

 

何故なら神は生命そのものであり、生命は決して死ぬことがないからである。それはわたしたちの身辺によく見かける多くの間違った智識と同様に、人間の無智な考え方から来る誤解である。

 

神はその存在を人に強要して認めさせようとしたり、或いは罪人を法廷に引きずり出す裁判官や王様ではないのである。

 

神は愛深き、すべてを与える父にして母なる神であって、人が近づいてでも来れば、両手を差し伸べて抱擁して下さるのである。

 

あなた達の過去や現在の人となりや職業や神にとっては何ら問題とはならない。あなた達が真実の心情(こころ)と目的を以て求めるのであれば、依然としてあなた達は神の子である。

 

 

(略)

あなた達は丁度、自分の父母や兄弟友人に対すると同じように何時でも神を見、神と語ることができるのである。本当のところ神は誰よりも身近におられるのである。

 

神はどんな友よりも遥かに慕わしく、また忠実である。神は決して興奮もせず、意気消沈することもない。神は決してその子等、生きものや被造物を一つとして破壊することなく、傷つけることなく、妨げることがない。

 

 

もしそのようなことでもすれば、もはや彼は神ではない。その子等や生きものや被造物を裁き、破壊し、或いは美しいものを与えようともしない神なるものは、人間の無智な考え方が造り上げたものにすぎない。

 

そのような神はあなた達自身で恐れたいと望むのでない限り、恐れる必要はないのである。

 

真の神は御手を差し伸べてこう言われるからである。『わが持てるすべてのものは汝らのものである。』あなた達の或る詩人は、『神は息よりも近く、手足よりも近し』と歌ったが、それは霊感によるものであった。

 

人が正しいことのために何かをする時、神はこれらの人々に霊感を与え給う。人はすべて意欲さえすれば、常に神の霊感を受けることができるのである。

 

これ以上ない完璧な回答。神々しさや美しさを覚えます。しかし、聖書の神とは違う考え方なのか?とも感じられる内容です。

 

 

聖書では割と神が激怒するシーンが多い印象でした。まだ聖書を読み進めていないから、私の中で解釈の違いが起こっているのでしょうか?この部分はまだ情報と考察が必要です。

 

 

「聖書の神」をも超えるような印象を受けましたが、その「真の神」の正体は自分自身で感じ取るしか方法はありません。手足や息よりも近いのであれば、神は自分の中にしか存在しません。

 

 

「ヒマラヤ聖者の生活探求」は真理・智慧の獲得に近づけるか?

 

現在5巻・1巻・2巻を読み進めていますが、どこを読んでもロマンにあふれ好奇心を刺激します。スピリチュアルや引き寄せの法則系の書籍とはまた違う魅力。

 

 

スピリチュアル依存に陥っていた頃に「ヒマラヤ聖者の生活探求」を読んでいても全然頭に入っていなかったことでしょう(笑)「願望実現の法則が載ってないじゃん!お金の願いが叶わない!キーッ!」と憤慨していたかも知れません。

 

 

あれから年をとったからこそ、真剣に楽しめる内容。お金・仕事・住居・人間関係・親子関係、全てを諦めたような人間になったからこそ面白い(笑)現実的な願望実現を諦め、神や人間の真実について知りたくなる年頃みたいです。

 

 

内容の真偽の判定はまだ保留にしておいて、しばらくは「ヒマラヤ聖者の生活探求」の追究を突き進んで行きます。読むべき本はその時にしか現れないと思うので、今はこの時間を楽しもうと思います。

 

 

「世の中お金じゃない」の二元論に惑わされるな。

この世は聖書的世界。「世の中お金かそうじゃないか」の二元論に惑わされるのはやめよう。

 

地獄や悪魔は人間の心の中にしか無いのなら、もうあらゆる価値観が全て悪魔崇拝から派生していることがよくわかります。あまりにも巧妙に仲間同士で争わせ、真理から目を背けさせようしています。

 

 

人はお金か神かどちらかに仕えることは出来ません。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません(マタイ6:24新改訳第三版) とある通りです。必要最低限のお金は必要だけど、生きていくならそれで充分。

 

 

私たちはもっとシンプルに生きていくことが出来る筈です。特に私は断捨離を徹底し始めて、もはや終活の身辺整理レベルにまで持ち物が減ってきました(笑)ブログ運営を縮小したり(別記事)、仙人になってしまいそうな勢いです。

 

 

 

でもまだまだ減らしたい。もっと地味な生活でも構いません。ブログの記事執筆はどこでも出来るし。もはやブログで稼ぐことすらも諦めているような状態です(笑)お金ばかりを追いかけてきた人生なんてもうたくさん。

 

 

「ユジンの放送」のユジン氏の洞察力は鋭い!

 

世の中お金じゃない、いや、お金だという議論は、無知を極めた愚か者がする事である。

 

世の中がお金だけで成り立っている訳がなかろう、大地はあらゆる成分で出来ており、空気にも、木にもあらゆる物が詰まっているだろう。

 

人間には皮膚や血液、臓器や骨があり、それを形成する物は更に小さい。

 

それに、全ての物は神の物である。

 

何故この様な複雑で無限の構成要素を持った世界を、お金という一括りにしたりしなかったりするのか、考えただけで寒気がする。

 

インターネットを犯罪に使う人や慈善事業に使う人がいる様に、それ自体はいつでも中立で、問題は使う人にあるという事を全く理解出来ない野暮な人間こそが、「世の中お金か、お金じゃないか」という野暮な議論を交わそうとし、偽善者として振る舞うのである。

 

マネーとは、いや、全てのインフラは中立である、それをどうするかが問題なのだ。

 

もしも金持ちがそれを悪や罪に使えば、それは罪の金である前に、その人が罪なのだ。

 

 

ブログで自分の思いと考察をひたすら発信。最近はそんな時間が楽しいです。SEO対策とかキーワード選定なんてもういいです。どうせGoogleのアップデート次第で振り回されるのだから。そんなものを仕事とは呼べない。

 

 

もう、社会不適合者上等です(笑)全てのものは中立。中立的にフラットに生きていきたいです。神や真実に忠実に生きていく方がずっと大事。そんな生き方を毎日続けることだけを考えています。

 

どう見ても今は世の終末。我々に時間は残されていない。

現実は荒れ放題だけど心は静かに落ち着けて生きていきましょう。

 

 

東京五輪で大勢がスポーツに夢中になっている間も、世界は動き続けています。競技内容は確かに見ていて楽しいのですが、支配層のやり方やニュースにも気を配らなくてはなりません。

 

現実は日に日に悪くなっていく一方で、オリンピック後がどうなるか不安です。「時間が残されていない」という莫大な不安がつきまとっています。反キリスト・反聖書の支配層がまだまだ行動を起こそうといる真っ最中ですから立ち止まってはいられません。
 

 

この世はあまりにも多くの歴史や真実が隠され続けています。私達はもっと彼らの欺瞞を暴かなくてはならない。悪魔に力を与えてしまうような発言や行動は慎まなければならない。

 

 

情報は数多くネットの中にあり、ひとりひとりが情報収集して行動を始められます。何を受け取ってどんな人間になるかは自分次第。いつでも常識を疑って、情報を精査しながら突き進んで行きます。

 

 

明かな終末を迎えていて、支配層は焦っている。私たちに出来ることをやろう。

 

ここまで記事を読んでくださってありがとうございました!


 

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