【神仙思想】普通の人間でも仙人(超能力者)になれる?富より知恵。この世の快楽を味わい尽くす神仙たち。

魔法使い=仙人・神人・神仙・真人・超能力者…私達の到達目標地点。

引き寄せの法則では限界が来ている時代だからこそ、富より知恵を。


自分さえ良ければいい、自分だけ儲かればいい、他人はどうでもいい…の時代は完全に終了しています。
 
富・人気・地位を追い求めるだけでは社会は成り立ちません。人が神や真理を求めるようになるのは必然だったのかも知れませんね。いつかこうなるべきだったんでしょう。
 
 
魔法使い・仙人・超能力者…と言われるとファンタジーっぽさがあってスピリチュアルどころじゃないように思われますけど(笑)
 
しかし実際私達が将来的に辿り着くべき道は、まさにその領域です。私達は真の魔法の存在に気づかなければなりません。マーベル映画のような魔法ではなく、神仙としての魔法です。
 
 
魔法は存在しているからこそ秘匿され、独占されて庶民には分からないようになっています。庶民が知ってる魔法といえば…映画やアニメでドカーンってやってるやつ。錯覚させられています。
 
そういうやつが欲しいのではないのです(笑)
 
支配階級は間違いなく魔法を知り尽くし、魔法を使い、支配を長年続けています。
 
 
本当は「魔法」というものは支配階級のための所有物ではなく、誰でも行えるはず。
 
当ブログでは魔法についてたまに書いていますが、魔法はいつか必ず辿り着く道だと信じています。
 
 
どう避けようとも自然界の法則(つまり魔法の世界)から逃れるのは不可能。誰でも「魔法使い」「仙人」「超能力者」にまで自己を高めなければならないからです。
 
 
 
究極のアンチエイジング・不老長寿! 古代中国の“神仙思想”と“養生”の極意(普通の人でも仙人になれる)

『荘子』には神仙という超人的な存在者を説く神仙説がある。たとえば、次の箇所がそうである。
 
藐姑射[はこや]の山に神人がいる。肌は氷や雪のように白く、たおやかで若い女のようである。五穀を食べず、風を呼吸し、露を飲む。雲気に乗り、飛龍を御して、四海の外に遊ぶ。(『荘子』逍遥遊篇)
 
真人とは何か。古の真人は寡[とぼ]しい境遇にも逆らわず、盛んな境遇でもおごらず、ことさらに事を謀りもしない。こうした人は、たとえ過ちを犯しても悔いないし、うまくいっても得意がらない。こうした人は、高いところに登っても慄[おそ]れず、水に入っても濡れず、火に入っても熱いと思わない。これはその知がにまで至ったからである。
 
古の真人は、眠っても夢を見ず、目覚めても憂いがない。食べてもおいしさを求めず、呼吸は深々としたものである。真人が踵[かかと]から息をするのに対し、衆人は喉から息をする。衆人は屈服しているために、その言葉はもごもごと喉に詰まったようであるし、嗜欲[しよく]が深いために、先天的な働きが浅いものになっている。(『荘子』大宗師篇)

 
 

ここで『荘子』が持ち出したのが、「養生(生を養う)」である。
 
逍遥遊篇の引用箇所に、「神人」は「五穀を食べず、風を呼吸し、露を飲む」とあった。これは、道教の養生術でも重視する、辟穀[へきこく](穀物を食べない)という食事法や、呼吸法にあたるものだ。しかし、『荘子』は肉体に働きかける養生に重きを置いてはいない。
 
吹呴[すいく]呼吸し〔気を吐いたり吸ったりする〕、吐故納新[とこのうしん]し〔古い気を吐き出し新しい気を吸い込む〕、熊経鳥伸[ゆうけいちょうしん]する〔熊のように立ち上がり鳥のように首を伸ばす〕のは、寿命をのばすだけのことで、導引の士や養形の人、あるいは彭祖のような長寿者が好むことである。(『荘子』刻意篇)

 
 

では、どのような養生が理想的なのだろうか。『荘子』はそれを「養神(精神を養う)」と呼んだ。
 
そこで、「純粋で雑[ま]じりけがなく、静一で変化せず、淡々として無為であり、動きは天行[てんこう]のようである」と言われている。これが養神の道である。(『荘子』刻意篇)
 
仲尼[ちゅうじ](孔子)が言う。
 
「お前は自分の志〔心の思い〕を一つにしなさい。耳で聴くのではなく、によって聴きなさい。さらには、心によって聴くのではなく、によって聴きなさい。耳は聴くことに止まり、心は物に符合することに止まる。それに対して、気は虚であって物を待つものである。ただ道は虚に集まる。虚は心斎〔心の斎戒〕である」。(『荘子』人間世[じんかんせい]篇)

 
 

世の中に神仙は学んで得ることができ、不死も努力すればそこに至ることができると言う人がいる。
 
また、最も長寿は一二〇歳で、古今同じであり、これを越えた年齢などでたらめだと言う人がいる。しかし、二つの説はいずれも本当ではない。ためしに、そのことを論じてみよう。
 
〔最初の説については〕そもそも神仙は目に見えないものであるが、書物には記載されている。前史にも伝えられていて、はっきりと論じられているので、それは必ず存在するものだ。しかし、神仙は特別に異気〔常人とは異なる気〕を受けたもののようであって、自然に身につけているのであって、学んで至ることのできるものではない。
 
〔もう一つの説については〕養生が理を得ていれば、性命を尽くすことができ、長ければ千有余年、短くても数百年は生きることができる。しかし、世の人々はみなそれに精通していないので、長命を得ることができないだけである。(嵇康「養生論」)

 
 

たとえば仙人などは、薬物で体を養い、技術で寿命を延ばし、内部疾患が起こらぬよう、外界からの害が身に入りこまぬようにする。いつまでも死なずにいるが、それも若いときの体のままである。これはその道を会得すれば、むつかしいことではない。(同、論仙篇、二五頁)
 
そもそも不老長生を求め、至高の道を修める秘訣は本人の志にある。
 
富貴にかかわらない。然るべき人でない限り、高い位、豊かな富はかえって邪魔になる。何となれば、仙道を学ぶ法は、恬淡として欲をなくし、外界に目や耳を向けずに内に向け、枯れ木のように座って無心になることが要求される〔からである〕。(同、論仙篇、三一頁)

 
 

彭祖はまたこうも言う、
 
昔の仙人のなかには、体に羽が生え、鶴に化けて空を飛んだ人もある。もとの人間の形を失って全く別物になるというのは、雀が蛤になり、雉が大蛤になる(『礼記』月令)ようなもので、人間の理想ではない。
 
人間の理想としては、旨いものを食い、軽くて暖かい着物を着、男女の交わりをし、高禄を食み、耳目はいつまでもはっきり、体の節々はしっかり、顔色はつやつやして、老いても衰えない。いつまでも死なず、出処進退は思いのまま。寒さ熱さ、風や湿気もわが身を痛めることはできない。鬼神や精霊もあだをすることはできない。刀や槍、あらゆる毒物もわが身に障りにならない。憂い、喜び、毀誉褒貶もわずらいにならない。
 
これがよいところなのだ。もし妻子を捨て、独り山野に住み、ポツネンと人交わりもせず、ゴロンと木や石のように寝ていたのでは、余り結構でもない。
と。(中略)
 
せんじつめれば、人が不老長生を願うのは、ただ今日の快楽を惜しめばこそ。もともと天に昇ることに汲々としているわけでない。空中を飛んでみたところで地上より楽しいというのでもなかろうから。(同、対俗篇、六〇─六一頁)

 
 
あちこちで言ってますが…やはり呼吸法ですね。
 
呼吸法をやる前までは「ただ息を吸って吐いたりするだけなのに面倒」なんて考えていたこともありましたが(笑)、やってみると明らかに意識が変わっていくのが体感できます。
 
食べ物が肉体の健康に影響を与えるように、呼吸には意識を変容させる物質が含まれているようです。それこそが魔法と言ってもいいです。
 

1日1日を大切に、地上の快楽を大切にする・


「快楽を大切にする」と言われるとあっという間に下品で怠惰な思考・習慣に逃げ込む人がいます。仙人失格ですね(笑)
 
堕落と「地上での生活を楽しむ」は全然意味が違うのが分かると思いますし、仙人が堕落を目指すわけないでしょう。その違いを明確に理解できる人が仙人としての第一歩。
 
悟り・PNSE経験があったからといって油断出来ません。むしろここからが新しい始まりです。
 
 
仙人=霞を食べて山奥の洞窟にいる…みたいな印象(思い込み?)がありますが、人が暮らす世界の中に住んでこそ本物の仙人妻子や家を捨てれば仙人になれる、なんていうものじゃないんでしょうね。もしかしたら普通に当たり前に暮らしているのかも知れません(笑)
 
 
とにかく私は日々の暮らしを大切に、スワイショウや呼吸を大事にして、次の至高体験や気づきを目指すなどします。それが仙人への道に繋がっているはずだと信じて。
 
昔はあんなに願望達成のことばっかり考えてたのに…(笑)いまは「至高の道」ばっかり考えています。
 
夢や目標を叶えることも大事ですが、至高体験や神仙の前では些細なこと。自分の目先の欲望にあまり囚われないように心がけています。
 
 
もっと自分の魂の力を知りたい。磨きたい。高めたい。今年はより仙人へと一歩ずつ近づきたいです。

毎日「なんとかなる」精神で焦らず驕らず進む。


今まで自分の人生、色々逆らって生きてきたように感じます(笑)
 
こうしなければならない、絶対こうなるべき…など不要な拘りのせいで逆に反発を食らってしまい、結果何も上手くいかなくなったことが無数にあります。「何かに邪魔される感覚」があったとしても、「日銭を稼がなきゃいけないし何とかしないと」と常に焦って困り果てていました。
 
それが良くなかったんだろうな…と今では思います。
 
 
PNSEを経験したからといって金銭的な不安の思考が無くなるわけではありません。でも思考は思考です。脳機能の一部に過ぎず、現実を反映した情報ではありません。だから構うのは無駄だと気づきました。
 
何事にも動じない姿勢はまだまだですが、少しずつ「なんとかなる」と思えるようになってきています。
 
だって、実際思考が使いものになったことなんて一度もありませんから(笑)思考には頼らない。思考は信じない。
 
そうやって一つずつ気づき、学ぶたびに「仙人への道」が繋がっていってるのかな…と思えます。願望達成より神仙思想への道を辿っている真っ最中です!
 

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黒塚アキラ

いつか誰もがたどり着く道。表には出てこないだけで世界のあちこちにいるはず。人体の神秘を追究した先に、神仙への「道」に出会えるかも。


 
ここまで記事を読んでくださってありがとうございました!
 







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