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人間の自由自在な進歩を遮る「特別な選民、神に依怙贔屓される選民」とは妄想に過ぎない。

祖先や発祥は気になるけど、「日本人は特別」な妄想は捨てるに限る。

生活環境に差はあれど、人は皆平等に生かされていることの意味を知る。

 
こんにちは、黒塚アキラ(@kurozuka_akira)です。約1週間、このブログを更新していない間に色んな事が次々と起こりました。記事ネタも増えそうです。そしてTwitter内では偽物が現れ荒らしをしている模様。暇だな~(笑)
 

 

私達は生育環境はそれぞれ違えど、「魂からの目覚め」「真実を獲得する」という点においては全員平等です。どんな状況下であっても本気で祈れば道は開かれるし、眼前に広がる現実が次々と変化していきます。

 

 

どんなぶっ飛んだ情報でも真面目に追究してもいいし、否定してもいい。でもYouTubeやTwitterで荒らしをするのは言語道断。バイトの工作員ですらないただの暇つぶし野郎で、ただただ不愉快。

 

 

 

https://twitter.com/umeko40925460/status/1460618374338125826?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1460618374338125826%7Ctwgr%5E%7Ctwcon%5Es1_c10&ref_url=https%3A%2F%2F kurozuka-akira.com%2Fmagic%2Fjapanese-delusion%2F

 

こんな事して、本当に暇なんだろうなぁ~と感じます(笑)他人の人生に口挟んでる場合ではないのでは。くだらね~!!!

 

 

馬鹿馬鹿しい。私のTwitterアカウントをフォローしていたこともあったのですが、よく見ると違和感があったので即座にブロック。

 

 

荒らしや偽物が現れるほど有名な業界(?)になってきたんですね、フラットアース・マッドフラッド・タータリアの話題は。日ごとに有名になるのは良い事です。多く人が集まれば考察の数も増えます。

 

 

さて、今日も「ヒマラヤ聖者の生活探求」から勉強。

 

マッドフラッド考察で日本人の特性や歴史観が崩壊し、全てを白紙にして考え直さなくてはならなくなりました。「日本人はムー大陸から来た?」という記事を前提にして考えれば、世界の歴史観は更に変わります。

 


 

日本人は目覚めなくてはならない、と言われますが、日本人だけが特別で日本だけが素晴らしい国であると考えるのは傲慢です。事実、過去のタータリア考察で日本史はほとんど嘘ということが暴かれました。

 

 

和服の概念、言霊の知識はそのまま残っていても受け継ぐ日本人は少なく、ネットでは「海外から尊敬される日本」系の情報ばかりに満足する人々が多いです。本当にコレはうんざり。そんなに海外の人って日本ばかりを見てないでしょ(笑)

 

 

日本人が持っている武器を知ろう。

 

 

日本人として乗り越えるべき課題は多数ありますが、「日本人スゴイ」に逃げ込むのは現実逃避です。

 

 

確かに過去の日本地域では素晴らしい文明・精神性・文化・発明があったかも知れませんが、現代日本人とは全くの別物で天と地の差があるほどの劣化版人類に過ぎません。

 

 

だからいつまでも「日本すごい!日本は誇り!日本が好きな普通の日本人!」はやめましょう(笑)凝り固まった妄想は自分自身の可能性の足かせになってしまいます。

 

 

聖書を疑うことに悔いは無し。自分自身の可能性を突き止めたい。

「ヒマラヤ聖者の生活探求」から引用。自分自身の可能性を妨げる洗脳・妄想から抜け出したい。

 

ブログを更新するたびに新しい事実や情報発見があり、そのたびに考察内容の変更を余儀なくされますが、中でも一番大きかったのは「聖書との出会いに感謝→聖書を疑います」の大転換でした。

 

 

これには読者からも批判があり、Twitterをブロックしているアカウントもありました。

 

時間が経てば考えが変わるのは当然なので、当ブログへの批判や動揺があるのは必然です。「聖書に会えて良かった~!」から「聖書誘導を反省します」ですから(笑)そりゃ困る。

 

 

日本人は元々無宗教でキリスト教や聖書を嫌う性質がありますが、なんだかんだで一周回って戻ってきてるような・・・?(笑)壮大な一周でしたね。結局、特定の団体・制度・思想は自分を固めてしまうだけ。

 

聖書の知識は確かに必要だけど、固まってしまったら意味が無いんです。

 

 

伝統派(オーソドックス)にせよ形而上派(メタフィジカル)にせよ、或る特定の宗教団体や制度に属していては、自分の進歩の妨げとなる場合があります。

 

何故ならばそのような団体・制度は部分的であり、宗派的であり、多かれ少なかれ差別の考え方が入っている教えを説いているからです。

 

そのようなものは人間が自己の真我を発見する過程における途中の楷梯に過ぎないのであって、何処かで伝統、否因襲になってしまったが最後われわれは退歩せざるを得ないのであります。

 

それと縁を切らぬ限りそれ以上の進歩は遮られてしまうのであります。

 

私達は一体どこまで常識や歴史を疑わなければならないのでしょうか。続々と掘り出されてくる情報の洪水を乗り切りながら直感を鍛える作業は果てしなく長く根気を必要とします。

 

 

何かにすがるとそれ以外の何かを否定したくなる。差別や分断に繋がってしまいます。私達ひとりひとりが目覚め団結しなければならないはずなのに、いつの間にか他者を否定している。もうこれ以上敵を増やしてはならない。

 

この点は反省し謙虚に考察を深めなければと感じます。

 

 

これからも聖書はしっかり読むけど、しっかり疑っていきます。キリストの実在、生誕年、聖書が造られた年代だって疑ったらキリがありません。

 

歴史がこれだけデタラメなのに「聖書はしっかり正真正銘本物です!安心して読んで福音を信じてください!」と何の疑いもなく受け取れません(笑)

 

日本人だけが「神に撰ばれた選民」ではない!

歴史・陰謀論を調べると「日本人は最高の民族~」なんて言われるが、それは分断と傲慢の始まり。

 

日ユ同祖論はじめ、「日本人が特別な民族」系の妄想はそろそろ辞めるべきだと考えるようになりました。

 

 

タータリア時代の日本は文句なくそう言えたかも知れませんが、明治維新後の劣化版日本人を見て誰が本気で「日本人スゴイ」と思えるものか(笑)

 

 

日本には四季がある?(19世紀まで冬は存在しなかったらしい)水道水が飲める?そのくらいで日本スゴイって書いてるのが信じられない。恥ずかしいのでそういったツイートは即ミュートかブロックします。

 

 

私達は自分の生きている世界を変えなくちゃならないし、遺伝的に持っている神性の部分が本当にあるのなら活用しなければならない。「YAP遺伝子がある俺達最高~」と口だけで終わるのは勿体ない。

 

そもそも私達は自分たちの歴史を強引に盗まれています。これ以上許しちゃいけない。

 

 

或るグループ、ある民族域はある国民が、自らをある意味で神に直接つながる撰民、又は神に依怙される撰民、特別の民などと称して凝り固まるならば、彼らは健全な民ではなく、その教えも決して完全ではない。

 

神は人を見るのではない。

 

凡ゆるものが神の創造の現れであり、そのすべては何らの依怙贔屓なしに神の中に包擁されている。

 

ある人々は神に撰ばれ、他の者は神には撰ばれぬ、という事はありえない。神は全ての人々を造り給うた、その故にすべての人々は神の撰民である。

 

一切の人間は神の現れである。それは一切の植物生命の形態が自然自体の現れであるにも似ている。

 

この事実の中にこそ本質における平等があるのであって、この普遍的事実をわれわれが悟り、それを外部に現した程度によって外部の平等もきまるのである。

 

日本人だけが特別なのではなく、生きている全員が神の撰民だと「ヒマラヤ聖者の生活探求」には書いてあります。この点において私達現行人類は完全に平等で、この先どんな人生を歩むか、どんな道を選ぶかで平等の性質が変わります。

 

 

堕落した人生を歩むか、ワクチンを打って取り返しのつかない肉体になってしまうか・・・自分でもっと調べて世界の真実探究を頑張ってみるか(笑)どんな道を歩んでも困難なことには変わりありません。

 

 

一発逆転の現実改変なんて訪れませんから、どの道を選択しても後悔の無い生き方を突き進みたいです。

 

歴史を疑い、神を疑い、悪魔を疑う覚悟を崩さない。

神、創造主、歴史、悪魔・・・全てを疑い真実を追い求め続ける覚悟を持つ。それが日本人の役目かも。

 

「ヒマラヤ聖者の生活探求」では「罪・悪は本来無い。全ては神の栄光を現すため」とあります。

 

もし事実なら、世界はあまりにも壮大な劇場です。悪魔的事象や現実が全ては神の栄光を現すためなら、神・悪魔の概念すらも茶番と化します。

 

 

いち人間から見たら「そんな破滅的な闇は経験したくない!」と叫びたくなりますが、こんな訴えですら前文明の人類から見たら矮小な価値観なのかも知れません。

 

 

とにかく、いま、自分の身の内に湧きあがる全ての感情や価値観が疑わしい(笑)ひたすら自分自身に問いかける日々です。私にとって、いま、自分自身を疑う時間こそが最も必要です。

 

https://twitter.com/talmud_bot/status/1456923880178679810?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1456923880178679810%7Ctwgr%5E%7Ctwcon%5Es1_c10&ref_url=https%3A%2F%2F kurozuka-akira.com%2Fmagic%2Fjapanese-delusion%2F

 

 

神の生まれ変わりや代弁者は必要ありません。神は特定の個人だけに特別に降りてきて対話したり、特定の民族だけに依怙贔屓する性格はありません。全て平等で、全てが神の創造の御業。

 

 

そう考えると気持ちが少し楽になります。現実は楽にならないけど(笑)、「この人生、まだまだ頑張れるな」と勇気が湧きます。誰にでも可能性があり、誰にでも道を切り開くことが出来ます。

 

 

日本人はもしかしたら、本当にほんの少しだけ他の国の人よりも遺伝子的に有利なのかも知れません。

 

しかし、例えそうだったとしても活用しなければ宝の持ち腐れで何の意味も無い。有利なら驕らず慢心せず、やるべき事に邁進しなくちゃ人生を無駄に過ごしてしまいます。

 

私達が本当に必要とする、自由な精神性や歴史を取り戻そう。

創造主は決して依怙贔屓や特別扱いはしない。私たちはいつも平等に生かされている。

 

聖書、神、悪魔、歴史・・・全ての概念を平等に疑うことで新しい真実が見えてくるかも知れません。ひとりひとりが真剣に自分自身に問いかければ誰にでも平等に道を切り開く機会は訪れる。

 

 

私達はもっと自由自在に生きられるはずで、マッドフラッド以前の歴史では想像以上の文明力と技術力で生きてきたはずです。そう考えれば、この「自由自在」の価値観も更新した方が良いくらいでしょう。

 

 

私はタータリア時代の人類の精神性を取り戻したいと真剣に考えているし、現代の世界がそうなって欲しいと願っています。コロナ騒動に乗じて世界が急変する今の時代、どう生きていくかを本気で検討しなくてはならなくなりました。

 

 

平等に生きる機会が与えられている以上、各個人の資質を磨く時間がまだまだ必要です。あまりにも多くのものが奪われ、全てを取り戻さなければ私達に勝ち目はありません。

 

 

現行人類は前文明と比べて明らかに退化していますが、生きている以上は意味があるし、一日でも早く存亡の危機から抜け出したい!全人類がふるいにかけられているこの時代を切り抜けていきましょう。

 

 

私達はいまこの瞬間も完全に平等。将来どう進んでいくかは自分次第だ。

 

ここまで記事を読んでくださってありがとうございました!


 

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