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【勉強】マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの教えと言葉(3)努力と目標、人間の神聖な本質とは

人間の心はもっと自然にゆったりしていたはず。

ラマナ・マハルシ氏の言葉を「ありのまま」受け取るって難しい。

 
こんにちは、黒塚アキラ(@kurozuka_akira)です。たまにマハリシ記事を投稿しています。これも意識向上の勉強の為。今回は自分用の記事でもあります(笑)
 

肉体の向上といえば、例えば筋トレや脱毛や化粧品など小道具が存在します。時間とお金をつぎ込めばある程度の変化が目に見えます。

 

しかし意識の向上は目に見えないし自分の体感でしか語ることが出来ません。だからこうやってスピリチュアル詐欺や自己啓発やら精神世界系が流行してしまうんですよね。

 

 

スピリチュアル業界で成功したら商売のために自分の言葉で喋るしかなくて、でもその言葉や単語が誤って広まってしまって…負の連鎖が延々と続いている現状です。

 

 

つまり本当に意識の向上・精神的な変革を達成したいなら完全に自分の手で行わなければならず、誰の手も借りられない。肉体の向上と違ってお金がかからないけど孤独の戦いです。

 

しかし寂しいと思ったことは無いしむしろ常に平静で落ち着いていられます。

 

 

本当に心が静かになり、波が引いていくようです。嫌な事はいつでも起きるものですが落ち着きに戻る早さが素早くなってきたように感じます(笑)

 

マハリシ氏の言う「宇宙意識」が育ち始めているのでしょうか?私には最近自覚が芽生えてきました。

 

 

「宇宙」って言っちゃうとフラットアース論と矛盾しますが、むしろ偉大な賢者や仙人であるほど世界がフラットアースだと知っています。彼ら仙人にとっての「宇宙」は天蓋下の世界の事です。無限に広がる広大な宇宙の事ではありません。

 

 

彼ら偉人・賢人の著書や言葉を翻訳するとき、フラットアースが理解出来なければ彼らの言う宇宙観がまるで意味が無くなってしまいます。

 

 

仙人や賢者の宇宙観を共有しよう。

 

ここでもフラットアース情報は必要なんです。むしろ、この先生きていくためにはフラットアースの知識が無いと何も進めない。

 

 

コロナもワクチンも昆虫食もマイナンバーも何もかも気づいているのに「フラットアースは却下」っていう人は勿体ないですね(笑)地形が平らか球体かは大きな問題なんですよ。

 

「私達は球体の上に生きている」という情報が超特大の大嘘であった事を気づくのはなかなか難しいのかも知れないですね。

 

逆に言うと、フラットアースが分かればその瞬間にあらゆる洗脳が解け、魂の目覚め・意識の向上についての扉が一気に開かれます。純粋で謙虚で素直な気持ちになれば、マハリシ氏などの偉大な賢者たちが何を教えていたのかが同時に理解出来るようになります。

 

 

マハリシの教えを学ぶ友への手紙

 

 

今日もラマナ・マハルシ氏が語った言葉について勉強します。

 

偉大な賢者が語った言葉の本は数多くありますが、翻訳者の知識や原文→日本語の壁が大きな障壁になってしまい、事実が大きく歪んでしまいます。決して翻訳者がそんな事を考えているわけでは無いのですが…。

 

「〇〇すべき」という努力は不自然で愚かである。

原文→日本語で読者のもとに到着する頃には意味がだいぶ変わってしまっている。

 

賢者が説明した思想や言葉、または著書や…彼の場合超越瞑想ですが、後世の人たちには「教え」がブランド化し「超越瞑想をやっている私は偉い」と誤解するようになりました。誰も彼のような賢者になれているわけじゃないのに(笑)

 

 

賢者たちの教えは通常「~~すべき」という口調で語られます。

 

それを読んで私達は「こうすればいいのか…」などと感動したりしますが、自然な状態を保つのは無理やりな努力で成し遂げる境地ではなく、ごく自然なまま、という言葉に尽きるようです。

 

 

私達人間には元々そのような性質が備わっていますが、逆に「~~すべき」の言葉に踊らされて「〇〇しなきゃいけない」などと考えてしまいます。

 

果てしない努力の果てに賢者への道が開かれる、という大きな誤解から始まってしまっている以上、賢者と同じ境地を共有することは不可能です。

 

 

過去のマハリシ記事はこちら。

 

私達はまずそこから改善しなければなりません。

 

本当は一切努力や調整なんて必要なかったという事実、他者の行動や態度に関わらず私達ひとりひとりには神聖な本質が備わっていて、外の現象と全く関係無かったという事。

 

 

賢者の言葉を「ありのまま」読み、「ありのまま」の自分になる。ここに辿り着くために一体いくつ無駄を削ぎ落せばいいのか?(笑)

 

 

以下引用です。

このようなわけで、だれもがほかの人たちの善いカルマの配達人になったり、悪いカルマの配達人になったりしているのです。ある人があなたの悪い行為の結果を配達する役目をしているとき、その人はあなたに不幸をもたらします。善い行為の結果を戻してくれるときには、喜びを持ってきます。

 

ですから、不幸がきたときに他人を責めてはいけませんし、幸福がきたときにも静かな心で受け取りましょう。人間の神聖な本質にはそのようなバランスの状態が備わっています。(183頁)

 

In this way a man becomes the carrier of other people’s good or bad karma. He creates unhappiness for you when he becomes the carrier of your bad deeds, and he brings joy to you when he returns the influence of your good actions. Therefore when misery comes we should not blame others, and when happiness comes we should maintain equanimity, the state of harmony in divine nature.“The Science of Being and Art of Living”, 1966, p.138

 

「不幸がきたときに他人を責めてはいけませんし、幸福がきたときにも静かな心で受け取りましょう」という訳文は、まるで人間関係における心がけを説いている言葉のように聞こえます。

 

ですが、マハリシが語っているのは、「不幸が訪れても他者を責めるべきではありませんし、幸福が訪れても平静を保つべきです」ということです。訳文のように言い換えられたのは、「平静を保つべき」という言葉を「平静を保つように心がけよ」という意味に解釈したためだと思われます。

 

しかし、「平静を保つべき」という言葉は、何らかの努力によって平静を保とうとすることや、平静であろうと心がけることを勧めているのではなく、平静が保たれて然るべきである、という点を明らかにしているだけではないでしょうか。

 

英語の should は、当為(当然そうあるべきこと、または当然すべきこと)を意味する語ですが、マハリシは、自然に平静を保つべきである、あるいは、自然に平静が保たれるべきである、と言っているだけで、平静を保つように努めるべきである、と言っているのではありません。

 

 

貧しい人が裕福な人の態度を真似ても裕福になることはできないのと同じように、何を経験する時でも平静であろうと心がけたとしても、平静であるという心理状態を現実に生きることはできません。訪れる幸不幸に動じる者が、何事に対しても動じないようにしようと努めるのは愚かなことです。その愚かさは、貧乏であり続けながら裕福な人の行動を真似るのと同じ愚かさです。

 

私たちは、教えの言葉のなかに理想を見出すと、それを目標としてかかげ、努力によって目標を実現しようとします。

 

しかし、教えが語るゴールの境地は努力によって実現できるものではありません。教えは、努力によって目標を実現せよ、と説いているわけではありません。それは、マハリシが繰り返し指摘しているところです。

 

しかし、私たちは教えの言葉をよりどころにして、心がけや努力によって、教えが語る状態に近づくことができると考えます。たとえば、次のような言葉も、そんな誤解を生むかもしれません。

 

 

報復すると、自分を悪のレベルに低めることになります。それよりも、人の悪をあなたの徳の海の中の一滴に変えたほうがよいのです。(129頁)

If you retaliate you lower yourself to the level of the wrong. Rather let the wrong be just a drop in the ocean of your virtue.(p.97)

周りに不純なものがあったとしても、それをそのまま、あなたの心の純粋性の海に、あなたの内側の純粋な良心の限りない喜びの中に、受け入れてやりなさい。(129頁)

Let the impurities of the atmosphere find a refuge in the ocean of purity in your heart, in the unfathomable joy of your inner pure conscience.(p.97)

 

命令文の形式で教えが語られたとしても、目標を実現するための努力が推奨されているとは必ずしも言えません。

 

 

自然であるためには、いかなる努力も必要ないはずです。

 

いかなる努力をもってしても、自然な状態を作るのは不可能です。自然であるとは、あらゆる努力が終わることであるはずです。自然であることが命じられたとしても、それは自然であることが必要だと語っているのであって、自然であるために、あるいは自然になるために、何かをすることが命じられたわけではないのです。

 

 

それと同じように、他人の過ちを自分の徳の海のひとしずくとして受け入れなさい、という命令も、そのような心理状態の必要性を明らかにしているだけであって、そうするように心がけよと命じているわけではないと思うのです。

 

人の過ちを自分の徳の海のひとしずくとして受け入れるためには、何よりも「徳の海」が自己の内になくてはなりません。「清純な心の海」「内なる無垢の良心にそなわる測り知れぬ喜び」がなくてはなりません。

 

「徳」を欠いたまま、相手の過ちに報復しないように努力したとしても、ただ自分自身に無理を強いるだけで、マハリシが語っているような寛容さは実現しないでしょう。

 

マハリシの言葉は、「徳の海」の持ち主は、相手の過ちに対して報復することなく、大海があらゆる川の流れを静かに受け入れるように相手の過ちを受け入れる、という事実を明らかにしているのであって、そのような状況を理想とし模倣することを勧めているわけではありません。

 

 

これらの言葉を聞いた人が、教えは人々の過ちに対して寛大であるように心がけることを勧めている、と解釈するならば、その人は、自分自身の現状とは異なる生の現実を表面的に真似ようとするでしょう。

 

そして、気分を作り、他人の過ちを寛大な心で許そうと努力するでしょう。

 

「瞑想を実修し続けている私の心は以前に比べて純粋になっており、他人の過ちを純粋な心の海に受け入れることができるようになって来ている、だから私は報復することはしないし、非難することもしない、私の心は海のように過ちを受け入れることができる」などと考えるかもしれません。

 

しかし、このように気分を作ることこそ、マハリシが否定していることです。

 

 

教えは、しばしば、ゴールの状態を命令文や当為文を用いて語ります。「~でありなさい」「~しなさい」「~であるべきです」「~すべきです」など、命令や当為の形式を用いてゴールの状態に言及することがよくあります。

 

しかし、そのような場合、教えは、そうある(そうする)ように努めることを求めているのではなく、自然にそうある(そうする)ことの必要を説いているだけではないでしょうか。

 

努力することに慣れ、努力によって物事を達成できると考える私たちは、努力すればゴールに近づける、努力し続けているのでゴールに近づいている、そう考えたがるかもしれません。

 

ですが、逆に、努力を続けるかぎり、いつまで経ってもゴールの地に立つことはできないでしょう。教えが語るゴールは、行為によって到達できるような類のゴールではないからです。努力は、努力する者をゴールから遠ざけるだけだと思われます。

 

自分の愚かさを思い知らなくてはなりません。私達の心や意識にはまだまだ多数の課題が存在します。

 

純粋で素直で謙虚になるのはどうしてこんなに大変だったんでしょうか?あらゆる見栄や疑いを全て取っ払ったら快適になれるのに、私達はどうしてそこまで苦労や努力を欲しがるんでしょうかね(笑)

 

 

私達は「自然さ」を忘れてしまっています。

 

取り戻すためには、人によってはお金や時間が必要になるのかも知れないけど、もし本気で取り戻そうと考えるのならそう遠くないうちに心身を「ありのまま」に戻せると思います。

 

 

女性には女性なりの愚かさがあるのを自覚。

残念ながら、女性・男性どちらにもそれなりの愚かさがある。

 

ブログで意見を書いたりYouTubeで動画を出す以上、自分自身の内面を見つめる作業は避けられません。

 

高潔で純粋で素朴でありたいとは誰もが思っていても人それぞれの愚かさがやっぱり残ってしまうものです。愚かさを完璧に取り除こうと考えるほうが無駄なのかも知れません。

 

 

常に女性を下に見たい男性と、依存しつつ利用したい女性のお互いの心理。

 

Twitterを眺めていると女性性と男性性特有の心のありかたや文章を構成のなかに人それぞれの「愚かさ」が垣間見れます。それがダメってわけじゃないけど…(笑)もちろん全員そうじゃないけどね。

 

 

 

今日もTwitterのどこかで男性性と女性性に関する話題でレスバが行われてるんだろうなぁ…。

 

バズる要素ではあるけど。特に「結婚後豹変してダメになった夫の愚痴」系は必ずといっていいほどバズるのでブロックします(笑)そんな人間最初から兆候が見えるはずだし、選ぶ方もどうかしてるしネットに書くのはもっと愚か。

 

 

人は誰しも「愚かさ」は持っていますが、ここを改善しないと「ありのままの自然で神聖な本質」の感覚が得られないのではないかと思っています。

 

こんな人間になりたくないなぁ…と自戒しつつ、意識向上のための勉強とさせていただこうかと思います(笑)

 

新しい時代、新しい世界を開拓する人間になりたい。

自分が出来る仕事はきっと他の人にも出来る。「新しい仕事を作る」仕事を発見出来たらいいな。

 

フラットアース論を知らなければこれから先を生き延びれないし、世界の支配構造を理解することも出来ないし、素直で謙虚な気持ちになることも無いし、賢者の言葉も理解できない。全部繋がっています。

 

 

地形と賢者の思想は繋がってないようで繋がってます。茶番劇満載の現代で生きる私達は道なき道を歩いています。

 

 

そんな私は道なき道を開拓する宿命なのかな。

 

過去に戻ってあの頃必死に勉強しておけば…と何度も考えたこともあったけど、どうやっても今の自分になりそうな気配しかない。何をしても、何をしなくても、「ありのままの自分」を得ようとする自分になっているのは変わらないと思います。

 

 

道なき道を自分で開拓する、そういう人生なんでしょうね。私って。

 

このツイートが気に入って待ち受け画面にしました。アプリのアイコンが文字に被らないようにして。

 

 

いまの私にぴったり合致する言葉です。新しい道を切り拓くのは私の人生。だから「普通の暮らし」が出来ず生きづらかったのか…?(笑)

 

 

それはともかく地に足つけていま出来ることを毎日精一杯生きるだけです。最近は自分の人生の成功について考えるようになりました。ラジオで延々と喋ったりしてます(笑)きっと「成功の道半ば」にいると信じて。

 

 

あらゆる教育がほとんど洗脳で全く意味が無いと知り、今度は自分の心の中にある無駄を排除する時期がやってきました。

 

 

この境地に辿り着くのにどれだけ時間を要したことか…。なんて無駄な時間を過ごしてしまったんだ。私の人生はまだ始まってすらいなかったなんて!(笑)後悔はいくらしてもしたりません。

 

1日でも早く、1年も早く「ありのまま」の感覚を得られるよう精進します!

 

 

「ありのままの自然」を受け入れるには愚かさや無駄な洗脳を削ぎ落す。

 

ここまで記事を読んでくださってありがとうございました!


 

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