至高体験|目覚め|陰謀論|精神世界|働き方|バイク|毒親|食べ歩きvlog|動画投稿|食生活と健康|ミニマリスト

【言霊の本体とは?】よけいな雑談で言葉を浪費するな。人間は言葉の主権者だ!

日本は言霊の国だと言われるけど、実践している人は一人もいない。

言葉の使い方を霊的・意識的な側面から考えてみよう。

 
こんにちは、黒塚アキラ(@kurozuka_akira)です。「日本は言霊の国」だと言うけれど、言霊っていったい何なんだ?何に使うんだ?何のために使うんだ?言葉を大事にする、ってどういう事なんだろう?と近頃改めて感じます。
 

 

もっと真実に近づきたい、世界の核心に近づきたいと考えるならば、自分自身の心・意識・精神・肉体がそれなりの水準に達していなければならないのではないかと思っています。

 

 

身体も心も前文明の人類の水準を目指していけば、何かが変わるはずでしょう。前文明がどの程度だったのかはまだ謎ですが・・・。少なくとも誤った医療技術や健康知識で身体を汚染し続けていては良質な直感なんて受け取れるはずが無い(笑)

 

 

エセスピリチュアル特有の「いつか願いは叶う!」「常にポジティブでいよう!」などという負の連鎖に陥ってしまいます。まずは日頃の健康を見直しつつ、心・意識・精神・思考から反省と実践を積み重ねていきます。

 

情報の洪水に埋もれて頭でっかちになる前に、日頃の生活習慣を再確認しながら直感を鍛え直します。

 

 

情報の洪水にのまれるずに、自分の直感を発揮しよう。

 

 

今日も「ヒマラヤ聖者の生活探求」から、言霊についての話。

 

名作なのでとことん読み、とことん学びます。皆さんにも是非読んで貰いたいです。今まで大いに堕落し洗脳された人生を満喫してしまった分を取り戻さなくてはなりません。私たちの肉体と心の中にこそ無限の可能性があり、それを傷つけることで洗脳は完成します。

 

 

もうこれ以上の洗脳と支配を許すわけにはいきません!言霊の仕組みや理由さえ知らなければ立ち向かう事は到底不可能。今日から心がけるだけでも違ってくるだろうと信じ、言霊(言葉)を真面目に考えていきます。

 

 

ヒマラヤ聖者の生活探求関連記事はこちら!

 

 

力のある言葉を選ぼう。言葉に力を与えるのは自分だ。

言葉は常に相手に投げかけ、同時に自分に帰ってくる。力のある言葉を使っていく努力を。

 

自己啓発・願望実現系でよく「言葉を大切にしよう」と言われますが、それはある意味当たっています。良い言葉・力のある言葉を意図的に選んで使う行為そのものは間違っていません。

 

 

しかし、言葉だけでは現実は動きません。その内に秘められた想念(思念)こそが最重要で、言葉はコマンド(命令)に過ぎない。私たちの想念に矛盾・迷い・混乱があれば、いくら力のある素晴らしい言葉でも空虚なものになってしまいます。

 

 

言葉というものは非常な力を持っているものです。併し大事なことが一つあります。即ちよく撰んだ上で力を与えない限りは、何らの力もないものです。

 

消極的な言葉自体には力はないのです。力はそれを話す人によって与えられるのです。

 

東洋哲学の示す通り、言葉以前の想念が猶一層重要であることはいうまでもありません。

 

従って想念は言葉の背後における動力とも成るので、その事によって力が加わり、大師方の云われる通りに、そのような言葉は発せられるとそれは創造せざるを得ないのであります。

 

言葉はよく吟味しなければならない。私の場合毒親(毒家族)問題があって、なかなか綺麗な言葉を使えない時があります(笑)でも毒親問題より大事なものがあるから耐えられる。それがブログ運営・真実探究とその実践です。

 

 

もし自分が「ヒマラヤ聖者の生活探求」に登場する大師だったら、いちいち毒親に振り回されるなんてことは絶対にありえない。「もし大師だったら」の視点で何でも考えるようになると、こんなつまらなくて程度の低い人間にイライラするなんて馬鹿らしいと思えるようになります(笑)

 

 

さて、漫然と、云い換えれば想念の力が加わっていない言葉を発してもそれは何の足しにもなりません。

 

しかし、言葉をよく吟味し、想念によって力を与えると、それは目的を達せずにはおかないものです。大師方が言葉はよく撰ばなければならないと云われるのも、又言葉は何時も強制する力があると云われるのも、この道理によるものです。

 

言霊の力や本当の意味を知らなくても言霊は存在するし、言葉には強制する力がある。知らないで言葉をむやみに使い続けることの恐ろしさを学ばなければならないと感じました。

 

言霊の本体について。宇宙の創造目的に沿った言葉を使おう。

「無限の宇宙は無いけど、有限の宇宙は存在する。」これが私達がいる世界の大前提です。

 

言葉も選び、想念も選択する。常に自分の心を集中して散漫な思考・雑念から抜け出す努力の必要性を感じます。想念が言葉を指揮すると分かれば、私達ひとりひとりが大師であり超能力者です(笑)そう感じませんか?

 

 

ついつい咄嗟に汚い言葉が出てしまったり、毒親問題のストレス発散で部屋でぶつぶつ独り言を言ったりします(笑)本当に頭がヤバイ。いや、しかし言葉の仕組みを知った以上は自重します。彼らのために使う時間は断捨離しなくちゃ。

 

 

真実探究を進めるうちに、変わらなくちゃならないのは今の自分だと気づきました。世界の真実に関する情報は時間が経てば集まるものです。でもその間自分が何も変わっていなかったら、大事な情報に意味を持たせられなくなります。自分自身こそが最大の敵です。

 

 

言葉には妥当な撰択力即ち本音の力のある想念を与えるべきです。併しそれは我の意志乃至我力だけで言葉を使いまくる為ではなく、言葉本来の力を与えるためであります。

 

その力とはもちろん霊の力であり、それは高度に撰択された想念、宇宙の創造目的に感応した想念、によってのみ言葉の中に入ってくるものです。

 

そういうわけで、言葉は指揮能力を持つ意志によって発せられるのですが、言葉に力を与えるのは意志ではなく、意志は想念を撰択する、即ち想念の撰択に参与する丈であります。

 

併し、力そのものは霊の存在と霊の力とに対する拡大した意識によって附下乃至認許されるのであります。

 

或る一つの言葉の意味や用途をよく考えて撰ぶ様にするならば、その使用頻度の撰択も、用いるべき人時処にもおのずと相応するようになるのであります。

 

もっとしっかり自分の意思を強く保たなければなりません。すぐ他人や毒親に振り回されてしまう自分がいつも嫌になります。言霊の意味を知り、理解しようと思っているから生まれ変わりたい

 

自分が変わらなくちゃ、いくら情報を掴んでいても意味はありません。心も体も言葉も生まれ変わらせなくては。

 

神の原理から離れないという想念が必要。人間は言葉の主権者。

人を憎んだり蔑む言葉の使用は(出来るだけ)避ける努力を怠らない。

 

毒親の発言や態度を反面教師にする生き方は、ある意味言霊の使い方を体得するのに等しい(笑)言いたい事をズバズバ言いたくなる気持ちは我慢。憎しみや恨み言を言いたくなるのも我慢。

 

感情の管理が出来ない人間が言葉を使えるわけが無いし、そんな人間が真実探究の核心に近づけるわけがない。

 

 

最大の敵は自分なんです。自分自身の直感・意志・精神を整える作業こそが最も困難な道です。これは真実探究より遥かに険しい道になりそう(笑)意志が変われば言葉も変わるし、病・不幸・恐怖に力を与えてしまう現実も避けられる。

 

 

東洋の哲人達が教える様に、よく撰ばれた言葉を使うようにしていると微塵も原理〔神〕より離れることはありえなくなり、

 

従って又口より出づる言葉はすべてこれいよいよ撰びぬかれたものとなり、もはや消極的状態〔病・不幸・恐怖・嫉妬等〕にエネルギーを与える愚を犯さなくなり、只善美なる終極目標の実現にのみエネルギーを与えるようになるのであります。

 

 

インド人、つまりアーリア民族は以上の消息は常に次の様に云い表わしています、人間は言葉の創造主である。故に人間は言葉の撰び主であり、言葉の主権者である。彼は言葉を撰ぶ、即ち、働く言葉、言いかえれば強力となる言葉を出現させる。

 

従って彼らが、この事実を正しく適用する限り、彼ら流に言えば、消極的力と消極的言葉とには繋がりようがないのであります。

 

従って何か善い事の実現を望んでいながら心の中には消極的な言葉が入り込んだり、或は、消極的言葉が思い付かれたりする事はなくなります。

 

この、実現したいと思う事物の形をハッキリと念ずる事が想像を可能ならしめる条件を出現させるのであります。これが即ち、人間がすべて口より出した言葉に主権を有する所以であります。

 

人間が神に似せられた姿で創られたとしたら、神が言葉で世界を創造したように、我々も言葉で現実を創造できる能力を有しているはず。それが言霊。日本人が率先して取り組むべき事業です。

 

それは「超能力」どころか、日本人が普通に持つ「普通の能力」。私達は普通の能力や言霊の概念さえも忘れるほど堕落してしまいました。日本人としての使命を今一度思い起こし、私は反省します。

 

 

日本人としての使命を考えよう。

 

 

「言葉を大切にする」は自己啓発業界で言われている内容だけど、それを実践している人は誰もいない。上っ面の「感謝!」「ポジティブ!」だけでは誰も助けられません。利己主義に陥ることなく、誰かの役に立てるための心遣いを考えていきたいです。

 

自分自身を見つめ直す時間が、言霊の力に目覚める方法。

言霊を正しく使えるような人間になりたい。身も心も綺麗にならないとなぁ(笑)

 

言葉を正しく使える人間になりたいです。現実は色々嫌なことが多いけど、それに耐えて意志を不動のものとする。意志から言葉が生まれるのなら、他人に振り回されたり逆上するのは最も愚かなこと。

 

 

自分自身を鍛える時間を確保することこそが、最も大事な時期に来ています。真実の情報だけでは世界は変わらない。

 

私達自身が生まれ変わる努力をしなければ何の意味もありません。情報収集の労力が無駄になってしまいます。

 

 

言葉遣いを考えるだけで、憎しみや怒りが一瞬スーッとひいていくのが分かります。どんなに腹が立っても真っ先に思うのは「真実の探求と自分自身を磨くこと」

 

 

悪口や罵倒の言葉を言いたくなる時があるけど、あえて我慢私に必要な勉強はもう目の前にある。それをずっとやり続ける。何があっても。その覚悟で言葉の使い方と向き合っていきます。それが当面の使命です!

 

 

言霊と向き合うことによって、自分の生き方が鍛え直されていく思いがする。

 

ここまで記事を読んでくださってありがとうございました!


 

16 view, 1 visit(s) today

アーカイブ

ランキング参加中です。

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 陰謀論へ
自己啓発ランキング 都市伝説ランキング 潜在意識ランキング

ブログ総訪問者数

PAGE TOP