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法華経(信解品)で宗教の道徳観を学ぶ。大いなる目覚めは大いなる夢から。機が熟すのを待つ。

「その時」が来るまで地道に着実に生きるのみ。

一生このままなのだろうか…という不安もつきまとうけど(笑)


 
こんにちは、黒塚アキラ(@kurozuka_akira)です。今日は宗教から「目覚め」について考える話題。実は宗教は嫌いなんですけど、こういった道徳面のお話なら耳を傾けたくなります。
 
新興宗教を始め宗教全般は嫌いなんですが、こういった有難いお話はちゃんと聞いておきたいですよね。
 
宗教の行き着く先は超人化・仏になること・人間の枠を超えた世界です。大体はそんな感じ。大雑把に言うとね(笑)
 
 
しかし今の宗教ときたら…先日投稿した「大大大大大出世!」みたいな、金の話ばかり。金・女・車…葬式仏教の坊主は外車乗り回してるなんていうし、現代に宗教特有の「有難いお話」なんて誰も聞いていないし求めていないのかも知れません。
 
 
宗教の枠に関係なく、きっと誰でも「目覚め」の道は開かれているはずなのに。私はそれが知りたいんです。
 
 

 
こういう話題を本屋では「精神世界」という括りでまとめて店舗の奥の方にひっそりと書籍が押し込められているんですが…(笑)
 
前々から思ってたんですけど、「精神世界」って言葉も本当は嫌い。初めて見たとき例えようのない違和感を覚えた記憶があります。世界って精神で成り立っているものだと思うから。逆に「物質世界」の分類の販売棚は無いし。

 
今回は思い切って宗教の世界を感じてみることにしました。

 

 

カルト宗教も新興宗教も葬式仏教も全部嫌い。正直、葬式で念仏を唱えるのも意味が分からない。魔術的に見えるから(笑)

 

本来の宗教の姿って人が死んだときに儲けたりするものではなかったはず。ましてや金や出世の為でも無い。死者への慰めではなく生きている者達の自己欺瞞・自己満足に感じる。死んだ者達は念仏を貰って幸せだろうか?

 

 

宗教はいまここで生きている人の行く道を導くもの。でも宗教の本来の姿の話をすると私達が嫌悪する「宗教臭さ」をまとってしまうから喋りづらい…(笑)

 

 

「法華経」から学べることもある。
https://www.nichiren.or.jp/hokekyo/id11/

 

今回は法華経について。幸い私は法華経信者の被害に遭ったことは無いので、法華経については中立的な気持ちで記事を書けますね(笑)

 

「機が熟すのを待つ」のも大事な行動のひとつ。

信仰は行動や態度で表現しなくては何の意味もない。

 

「信解品」から得られる気づきは非常に豊かなものです。

 

聖書をはじめ、有名な例え話にはちょくちょく比喩表現が入ったりします。決して文章通りに読み込む必要はありません。仙人あるいは、そこへ至る道が宗教の中で有難いお話として人々に受け継がれたりします。

 

 

つまり、わざわざ偉い評論家の解説文なんて読む必要が無い。わざわざ小難しくされたら余計意味が分からなくなってしまいますからね(笑)

 

 

現代では宗教となって受け継がれている教え・精神であっても当時はさほど宗教めいたものでは無かったのかも知れません。宗教という構造そのものが日本人にとっては受け入れがたく、だからこそ「宗教を信仰する人」が苦手になるのかも。

 

 

日本人が宗教に関してイマイチよく分かっていなくて、しかも大体は似非スピ・謎の手かざし・健康食品・偽預言者ビジネス系で終わってるのはそこなんでしょうか?

 

 

もっと庶民的に、道徳観念ぐらいまでに落とし込めば「宗教」という枠そのものが必要なくなりそうです。

 

 

とにかく今わたしたちが出来ることは精神的な鍛練です。

 

「機が熟すのを待つ」という途方もない作業を自分自身に課さなければならない。それがいつ達成されるかは誰にも断言出来ないから、ひたすら待つしかない。でも待ってばかりではなく自分から態度で表明する。

 
 

長者窮子の喩え

ここに一人の長者がおりました。

長者には子どもがおりましたが、父のもとから離れ流浪すること50余年、父も初めは尋ね歩きましたが見つけられず、一時断念して大邸宅を構えて暮らしていました。広く貿易をし繁盛していた長者の屋敷には財宝があふれており、この財産を子に譲り渡したい、と常に心にかけていたのです。

 

 

そこへ偶然、落ちぶれた子が父の邸宅の門前にやってきました。

 

子はもちろん、父の家とは知りません。が、父は忘れたことのない待ちに待った子どものこと、とっさに側近の者にあの者を連れて参れと呼び寄せます。

 

ところが、子はとても心卑しくなっており、自分のような者がいるべき所ではないと身の危険を感じ、捉えられて殺されてしまうと思い、気を失ってしまいます。

 

 

子の様子をみた父は考え、すぐには名乗ることをせず、子の心がだんだんと成熟していくのを待つこととしました。

 

そこで、まずみすぼらしい格好をした二人の使者をやって、賃金仕事で誘引しました。そして長年、それとなく教育し、助け、ついには重用して、すべての財産の管理まで任せ、互いに信頼しきるようになっていったのです。

 

やがて、子の心が向上し成長したことを知り、父は命終に臨んで、ついに父子の名乗りをあげ、自分の財産・職業の相続を、王侯・大臣はじめ一同の前で披露したのです。

 

 

このたとえ話に登場する長者〈父〉とはお釈迦さま、窮子(ぐうじ)は四大声聞を中心とした私たち衆生を指しています*2。父のもとを離れ艱難辛苦を繰り返し、因縁が熟して再び父であるお釈迦さまにあい、その教化にあずかることができたのです。

 

 

お釈迦さまは、すぐにみなを仏となして救おうと、お悟りの内容を説かれようとしましたが、衆生はとてもそれを受け入れられる状態にはありません。そこで、ここから、衆生の分に応じた導きが始まり、だんだんに成長させ、相手が本当のことを受け入れられる段階に至って、最後に真実の教えが説かれたのでした。

 

「諸(もろもろ)の衆生の宿世*3の善根に随(したが)い、また成熟、未成熟の者を知(しろ)しめし、種々に籌量(ちゅうりょう)し、分別し知しめし已(おわ)って、一乗の道において、宜(よろ)しきに随って三と説きたまふ

 

これは、信解品の結びの言葉です。

 

一乗の道という、みなが仏になる、この目的のために、お釈迦さまは相手に応じた三つの道〈方便の教え〉を示され、そうしてみなをして仏の道へと導いていかれたのでした。これがまさしく「開三顕一〈三を開いて一をあらわす〉」の教えなのです。

 

ここに、釈尊一代教化の次第、御意図が巧みな譬喩をもって明かされているのです*4。

 

 

信解とは

「無上の宝聚(ほうじゅ)、求めざるに自(おのずか)ら得たり」

 

これは、自分から求める気持ちなどなかったにもかかわらず、宝物が自然に自分の手に入った窮子の喜びの言葉であり、自分たち二乗も仏になることができることを目のあたりにした仏弟子の歓喜の心の表れであります。

 

 

第3章譬喩品の結語に強調され、第4章でもタイトルとなっている「信解」という言葉ですが、この信解品の本文中には見られません。それに代わってここで強調されているのが、この「歓喜(かんぎ)」という喜びの心になります。

 

 

本当のことを教え示そうとしてもそれを受け入れることができない段階にあった者を成長させ、機が熟してはじめて明かされたのが法華経の教えです。先の譬喩品でも、この法華経を聞く者の条件として示された「信」とは、お釈迦さまの教えを疑わず、そのまますなおに喜びをもって受け入れる、このことに他なりません。

 

 

こういった信の具体的なあり方について説かれているのが、この信解品なのです*5。

 

 

読んでみてとても感動するお話ですよね。それと同時に、いくらありがたい真理が目の前にあっても誰も受け入れようとしないという軽薄さは最初から指摘されていて(笑)

 

 

私はそんな人間になりたくない。真理を掴み取りたい。どれだけ謙虚に素直になれるか。そこに全てかかっています。

 

 

どんな人間も仏のように生きられる。つまらない事に執着していては何も得られない。陰謀論が次々と現実化されている時代、もうお金や出世のために宗教に縋っていては何にもならないのです。

 

 

一生懸命666のハンドサインをやってクネクネ踊って、それで「お金や名誉や仕事くれ!お願いします~」、って馬鹿の極みですよ(笑)馬鹿踊りやるような人間じゃなくて良かった。

 

 

欲望に身を落として最終的に取り返しがつかなくなる快楽的な人生を送るよりは、先の見えない「目覚め」のために機が熟すのをひたすら待つ忍耐の人生の方がマシ。

 

 

私達は誰もが導かれている。それは人間の小細工や浅知恵程度で操作出来ない領域。思考も行動も、本当は自分で全部やってるように見えてやっていないのかもね。

 

 

意識も精神も、ちゃんと生きて揺らめいている。

抑圧された感情が爆発するように、日頃の生き方が精神を成長させるはずだ。

 

信解品(しんげほん)を読んでまず第一に思ったのは、私達は自分の「意識」が生き物だってもっともっと自覚しなければならないということ。

 

 

肉体が筋トレや美容健康法である程度改善されたり外見が変わったりするように、思考が日々の習慣で積み重なって変わっていくように、きっと「意識」の領域も同じように育ったり変化を遂げるのかも知れません。

 

 

…そんな事を最近思いつきました。睡眠で(笑)やっぱり睡眠は大切ですね。日々の直感を育ててくれる。

 
 

過去に耐えてきたことが今になって「怒り」になって振り回される時がよくあります(笑)

 

今の私にはそこが問題なんですよね…辛い。そこが私にとっての課題ですよね。意識をもっと深く育てて根を張りたいと思っているのに。心の奥底にはまだまだ深い壁があった。

 

 

 

 

内面を思い切って全部浄化出来たらもっともっと気楽に生きられるのになぁ~…と自分にガッカリする時があります。

 

 

きっと導かれていると信じて。でも「機が熟す」には何事も下準備が大切だし油断禁物。自分の心を見つめて大切にしたい。そのために今マハリシ関連の言葉を読んでるんですよね(笑)

 

 

 

「何のために生きているのか?」私自身は何者なのか?

自分の人生を開拓したい。開拓者でありたい。常にそう願っている。

 

いまはブロガー兼YouTuberとしての道を歩んでいますが、本当にやりたい事はソレ

 

 

日々考え続けています。自分の人生を切り開くためなら何をすればいいのか?動画投稿とブログ執筆を通して仕事や生活や自己投資など…全てが自分の内面を見つめる作業と化しています。Twitterを開いていちいちブロックするのもそうかも(笑)

 

 

 

最近になってようやく自分のなかで一段階成長できたかな?と思えるようになりました。一歩階段を駆け上がれたような音が聞こえた気がする。

 

 

螺旋階段のようにグルグルと同じような景色を見ているようで着実に上に向かって上がれていると思いたいです。「その時」がいつ来るかは誰にも予想できないけど、気軽に魂を売って取り返しのつかない人生になるよりはずっとマシだから。

 

 

私は、私自身が何者で何のために今の人生があるのか。それが知りたいんです。魂を売って得られる人生はそんな答えを教えてくれないでしょうね。宗教の有難い話は多角的な視点で読んでおきたいです。

 

 

「気づき」に気づくこと、それすら出来なくなっている時代です。もっと素直に謙虚に冷静にならなくては。自分の心の叫びに蓋をしたくない。

 

 

魂を目覚めさせるってどんな気分になるんだろうか…その景色に到達したい。

 

ここまで記事を読んでくださってありがとうございました!


 

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