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禁欲と苦行を強いる自称聖者(覚醒者)に近づくな。本物の大師は常に自分を献げるのみ。

甘い言葉で「覚醒」を促す詐欺にご注意を。

不必要な情報は即遮断!禁欲や苦行を強いる自称聖者には近づかない様に。

 
こんにちは、黒塚アキラ(@kurozuka_akira)です。「テスラ缶騒動」を見ると現代人は財布も思考も貧しくなり、一発逆転を夢見るようになっています。甘い言葉で誘惑し大金と時間と健康を無駄にする詐欺師には絶対近づいてはなりません。
 

 

お金の余裕は心の余裕に繋がります。日本人全体が年々貧しくなり、日頃の思考まで貧乏になっているのがよく分かるこの頃。

 

 

簡単に一発逆転出来れば何の苦労もしませんが、テスラ缶やその他の覚醒系のセミナーやサークルに参加することで生活を変えようと夢見る人が増えています。いったい何の「覚醒」なのか・・・(笑)

 

 

そもそも簡単に「覚醒」や「目覚め」が多用されすぎている気がします。

 

当ブログでも目覚めの話はするので他人事では無いですが、そこに金銭が発生するとなると話は別。人が真実に目覚めるのにお金は必要ありません。

 

 

自分が本当は何をやりたいか、何に目覚めるべきか、何を他人に与えていくかは自分ひとりで決めること。

 

他人が開催するセミナーに行ったところで「ハッ!目覚めた!」と都合よく気づけるものではありません。自分で人生の目的に気づいたその後で興味に合った場所に赴けばいい話。「自分探し」感覚でこういった覚醒系の集会に行くのは危険です。

 

 

「ヒマラヤ聖者の生活探求」では、安易な苦行や禁欲を勧めたり行わせる自称覚醒者を批判しています。オウム真理教みたいなものですね。今後コロナ禍で起きないとも限りません。

 



読者の皆さんも、用心してください。

 

コロナ・ワクチン騒動のせいでいくら生活が貧しくなったからと言っても他人が都合よく一発逆転劇を提供してくれるなんて夢物語でしかありません。

 

社会情勢を見通したような悪質なデマで人の不安を煽り、お金をまきあげるような商売は絶対許さない。自分の心は自分で守るしかない。今日も「ヒマラヤ聖者の生活探求」でまた一つ勉強したいと思います。

 

 

「ヒマラヤ聖者の生活探求」関連記事はこちら!

 

 

過去のカルト問題を見ると、日本人は特に禁欲・苦行で道が開けると誤解しやすい国民性なのかも知れません。自分を厳しく戒めるのと、自傷行為は全く別次元の話。

 

 

こんな誤解でお金・健康・人間関係を失っては人生の意義を見失います。ヒマラヤに住む大師・聖者たちは一体どんな生活をしているのか?私達ひとりひとりはどんな行動が出来るのか?今日はそれを考えてみます。

 

 

 

大師・聖者は禁欲や苦行を一切行わない。社会から断絶もしない。

カルト宗教やカルト系Twitterアカウントとは全く真逆の思想ですね(笑)

 

覚醒を促す(だから何の?(笑))、詐欺系Twitterアカウント達は人間社会から断絶したような生活を提唱し、現代的生活から離れた隠遁生活のような理想像を掲げています。

 

 

一見、「コロナ脳やワクチン接種者から離れたい」という自称覚醒者の要求に応えた素晴らしい理想郷のようにも思えます。しかし人間という生き物は何処でどんな集団生活を形成していても必ず醜い争いが起こるもの(笑)

 

 

人間はどう生きても他人との繋がりでお互い支え合って生きていくものだし、好きな人達同士だけで仲良く群れることはなかなか難しい。大学生の宗教サークルの延長のような人間がオウム真理教を結成したのと同じ末路を辿ります。

 

 

オウム真理教の恐ろしさは受け継がれていると思いますが、入信していないからといって人々の心に「オウム的発想」は無くならないのです。それは、一発逆転思考・仲良しサークル的隠遁生活思考・苦行と禁欲で覚醒を目指す思考。

 

 

社会情勢を見ていると次第に「オウム的発想」を持った人々が同じ思考を持って集団生活を始めそうな気がしてきます(笑)例えオウムを名乗らなかったとしても、オウム信者と同じ発想を持っていれば第二のオウム真理教と同じ意味を持ちます。

 

 

「集団で覚醒を目指そう!」と宣言を掲げてるのを見ると、少しゾッとします・・・(笑)いや、もちろんひとりひとりが目覚めるのは大事です。しかしそれは激しい禁欲や苦行も無く行ってくれるのが第一。

 

そのうち禁欲・苦行系が流行りそうで怖いんですが・・・気のせいであって欲しいですね。

 

 

本当に人生の真実に目覚めた大師・聖者になりたいのであれば、禁欲・苦行・隠遁生活こそ辞めるべきです。人間生活に紛れて自分の人生を生きて、他人に影響を与えていく道が誰にとっても嬉しいこと。

 

 

大師方が極端な禁欲や苦行の生活をしていると思うのは誤りです。そのような生き方をしておられるのをわれわれは見た事がありません。

 

(大師方には)腰布だけを纏った方もおれば社会の最上層の方も居られます。しかし他と断絶して独居している方は一人も居られません。

 

世界をより善くする為、世界をいやが上にもよくする目的で隠遁生活をなさる方が僅かながら居られますが、それは大師方全体に比べればごく僅かです。

 

そういう方々はその特殊の目的でグループを形成しておられる特別の方々です。併し極端な禁欲や苦行は決してなさいません。

 

よく分からない意味不明な修行と称して禁欲や苦行を勧める場所には行かないのは勿論、私達は他の誰にも苦行を強制してはならない。

 

現実に流されずに自分の心を強く保つのはとても勇気が要ります。私は彼らのような聖者の生き方に憧れます。人生の目的は生きる場所で決まるのではなく、今日この場で決められる。

 

 

不便・制約などの社会的な制限を自分に課すことで他人にマウンティングしていて、一体何が楽しいのか?(笑)欲望に任せた暴飲暴食は良くないですが、人としての中庸を自分自身に示せばいいだけ。

 

人に見せびらかすための禁欲はやめたほうがいいです。

 

ある特定の目的である期間だけ禁欲生活をしているヨギを見かけることはあるでしょうが、そのために彼らが自己暗示に陥るという事は決してありません。

 

ヨガとは大いなる見証を得るために生きることです。

 

インドのいわゆる『聖人(ホーリイ・マン)』は多くが紛れもない禁欲苦行をしていますが、しかし普通彼らは乞食であって大師ではないのです。その多くは、想像もつかぬ程汚れ、かつ不潔です。

 

彼らはいわば人類の蛭であってそれ以上の何物でもありません。大師ではないのです。

 

ある男がただマントラムを唱え乍ら歩き廻ったり、結跏趺座(けっかふざ)をしているからといって、それだけでは大師ではないのです。

 

「ヒマラヤ聖者の生活探求」から引用しました。自分自身を幸福に出来ない人間が他者に与えられるわけが無い。人は欲があるから次の発明や行動を起こせる。

 

コロナ脳から離れたいのは私も同じですが(笑)、それでもこの社会で生きていかなければなりません。

 

禁欲や苦行は人生からの逃げ・甘えに過ぎない。

怠惰で罪深い自分自身であっても、自分を赦せるのは自分だけだ。

 

先日、「罪はスピリチュアル依存への道」という内容の記事を投稿しました。

 

人は罪悪感によって反省して次へ活かそうと考えますが、必要以上の罪悪感は他者につけこまれ宗教的ビジネスやフワフワしたアセンション系や各種スピリチュアル商売への道に繋がってしまいます。

 

禁欲・苦行も詐欺商売の一つ。人々の罪悪感を利用した悪質なカルト宗教ですね。「禁欲の出来る人間だけが○○になれる!」と人々の一発逆転思考を利用して。今後あり得そう。

 

 

第二のオウム真理教になってしまわないように、以下のツイートを読んで「なぜ禁欲・苦行はダメなのか?」をよく考えて見て欲しいです。

 

https://twitter.com/ASCIIART_NOVEL/status/1448101556851642371?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1448101556851642371%7Ctwgr%5E%7Ctwcon%5Es1_c10&ref_url=https%3A%2F%2F kurozuka-akira.com%2Fmagic%2Fabstinence%2F

https://twitter.com/ASCIIART_NOVEL/status/1448102627963666432?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1448102627963666432%7Ctwgr%5E%7Ctwcon%5Es1_c10&ref_url=https%3A%2F%2F kurozuka-akira.com%2Fmagic%2Fabstinence%2F

https://twitter.com/ASCIIART_NOVEL/status/1448103307856154628?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1448103307856154628%7Ctwgr%5E%7Ctwcon%5Es1_c10&ref_url=https%3A%2F%2F kurozuka-akira.com%2Fmagic%2Fabstinence%2F

https://twitter.com/ASCIIART_NOVEL/status/1448103864494813184?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1448103864494813184%7Ctwgr%5E%7Ctwcon%5Es1_c10&ref_url=https%3A%2F%2F kurozuka-akira.com%2Fmagic%2Fabstinence%2F

 

 

現代日本は全体が貧しくなりましたが、それでも生活水準はまだ整っている方。優越感で過剰な苦行や禁欲を行う人は、絶対他人へ施しを与えることはない。

 

 

最近よくありますよね、「丁寧な暮らし」とか「スローライフ」。丁寧ってなんだ?私の生活は雑ってこと?なんで他人に雑か丁寧か決められるの?とずっと疑問でした。

 

 

簡単に言うと、自分の不幸・不便を自慢するような人間はまだまだ人の上に立てるような人格じゃないってこと(笑)

 

 

手っ取り早い方法で優越感に浸る人間が社会的高位者を名乗るなんて恥ずかしい。禁欲・苦行の愚かしさはこのツイートに凝縮されていましたね。こういう人間が権力を握ると、周囲の人は自信を失います。

 

https://twitter.com/katotaizobot/status/1456208235896082432?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1456208235896082432%7Ctwgr%5E%7Ctwcon%5Es1_c10&ref_url=https%3A%2F%2F kurozuka-akira.com%2Fmagic%2Fabstinence%2F

 

脱洗脳や人生の目的に目覚めること、真の歴史探求・・・などは一人ひとりの生活や人格によって結果が大きく左右されることでしょう。私も謙虚に毎回考察しなければならないと思います。

 

 

他人に苦行や禁欲を迫ったり、金銭をまきあげ、時間と健康を犠牲にして、自分だけは優越感に浸り社会的強者を自称する。こんな事絶対やりたくないですね。不幸や不便自慢をしてもむなしいだけ。

 

 

本当に自ら望んで不便な生活に身を投じたいのなら、黙ってやればいいのです。誰にも見せびらかす必要はありません。誰にも伝える必要は無い。全員がそうする必要がないのだから。

 

自分を聖者(覚醒者)と名乗る人間に近づくな。静かに行動すればいいだけ。

聖者として真剣に精神的な仕事をするならば、金銭的な見返りなど求めず黙って行動すればいい。

 

最近SNSで個人発信が容易になったせいか、ひとりひとりが簡単に芸能人になれますね。SNSの発展は長所もありますが、より多くの人々の心を脅かす一面もあります。情報発信の自由は誰にでもあるけど、人の不安を煽る自由は無い。

 

 

本物の大師は人々に乞い廻ったり、何かを強いたりしません。誰にも強制はせず、誰にでも施していくから大師と呼ばれて尊敬されます。今のところ、私はTwitter内で大師レベルの人は見た事ないですね。

 

以下、「ヒマラヤ聖者の生活探求」からの続きです。

 

無等等覚に達せられたこれらの大師方で乞食をしておられるのはお一人だっていません。

 

それどころが大師方は人類の向上のために四六時中御自分を献げておられます。他に転ずるための施しさえ求めようとはなさいません。

 

御自分に必要なものも、他の人に分かち与えるべきものも、常時、そのお言葉を借りれば、既に実相に於いて持っておられるのです。だから与えるために乞い廻ることはなさいません。

 

慈善団体も組織なさいません。その代り外に出て始終人々を援助しておられるので、大師方であることが解るわけです。

 

インドには絶えず与えている人々が幾千人となくいますが、その中の誰一人として誰からか一銭でも受けておられるのは見た事も聞いた事もありません。

 

自分を『聖者』と称している連中は、自称聖者にすぎないのであって、大師方とは全く縁もゆかりもありません。

 

「ヒマラヤ聖者の生活探求」には、「大師は誰でもなれる」とあります。どこか特定の場所に隠れて住むのではなく、大師のような生き方が出来る人間こそが大師です。私はこの言葉に感銘を受けました。

 

 

自称覚醒者は、間違いなく大師のような生き方をしていない!(笑)人に見せびらかし、デマを流し、金銭をまきあげ、苦行を勧める人間は大師とは到底言えません。

 

 

大師のような完全な生き方にはまだ程遠くても、少なくとももっと人に役立つ行いがしたいです。優越感に浸るような商売は絶対やりたくありません。もっと心を気楽に、自由に生きられるやり方で人生の目的に辿り着きたいです。

 

他者を犠牲にしない、自由に生きる覚悟を決めよう。

他者の犠牲に成り立つ生き方はしたくない。人のコンプレックスを煽る商売もしたくない。

 

YouTuberの「好きなことで生きていく」とは違いますが、他者を犠牲にせず不快にもしない生き方は難しいものです。いまの日本社会には、必ず誰かを犠牲にしたり何かを奪ったりする商売がはびこっています。

 

人としての正しい生き方って一体なんなんだろう?

 

 

少なくとも他者を不幸にはしたくない。人の不安や劣等感を煽り禁欲や苦行を是とする商売は出来ない。優越感に浸りたいがための商売で儲けたくない。どんなに貧しくてもそんな商売は受け入れられません。

 

 

禁欲や苦行で得られる極上の生活や未来なんてありません。程よい節制や節約は必要でも、それ以上の厳しさを自分に課しても自分が不幸になるだけで何の意味も無い。

 

「制約に縛られず、他者を犠牲にせず、自由に生きる」って難しいものです。現代用語で言うならフリーランスかノマドでしょうか?(笑)

 

 

https://twitter.com/bezieer/status/1457595765698613251?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1457595765698613251%7Ctwgr%5E%7Ctwcon%5Es1_c10&ref_url=https%3A%2F%2F kurozuka-akira.com%2Fmagic%2Fabstinence%2F

https://twitter.com/tokophotoko/status/1457856938880950274?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1457856938880950274%7Ctwgr%5E%7Ctwcon%5Es1_c10&ref_url=https%3A%2F%2F kurozuka-akira.com%2Fmagic%2Fabstinence%2F

 

 

見返りを求めず優越感を必要とせずにひたすら他者に献げる、大師や聖者のような生活に憧れます。自分の人生の目的から逃げずに立ち向かい、自分なりの生き方を確立したいです。

 

 

「自由な生き方」のために禁欲や苦行は必要ありません。社会からの断絶や隠遁生活も必要ありません。本当に精神的な仕事を望むなら黙って始めればいいだけのこと。誰にも自慢しなくていい。

 

 

私達がちゃんと自分の自由な人生を取り戻すためには、覚醒を促すような自称聖者には近づかないことです。心の余裕を確保することが大事ですね。それは自分の人生を自分ひとりで決める覚悟に繋がります!

 

 

「自由な生き方」とは、他者の自由も尊重すること。誰かを犠牲にしてはならない。

 

 

ここまで記事を読んでくださってありがとうございました!


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