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【祈り】自己の魂の力で得た神秘体験をカルト宗教の功績(≒選民思想)にすり替える手法は許容できない。

嘘だと分かっていても何かにすがりつきたくなる執着性。

祈り、心、意識、精神の力は宗教関係ない。


昨日興味深い記事に出会いました。
 
 
某芸能人の母親が熱心な創価学会の信者で、入信のきっかけの神秘体験について詳細に書かれていました。
 
 
 
読んだら普通に面白いんですよ。でも面白いのは当たり前で、そういった文章の流れに組み替えないと新規信者が獲得出来ないからでしょ(笑)と思ったり。内容はお約束とも言っていい、「不幸のどん底で苦しかった頃に念仏を唱えたら現実が好転した」系です。要は他人の神秘体験を入信の宣伝に使うんですよ。
 
 
冷静になって考えたら、不幸のどん底なんか誰にでもある。〇〇の会や××教、△△宗などあちこちの宗教に頼りたくなって色々まわり道をする行動だって誰にでもある。私だって過去に色んな願望実現法則をウロウロしてた。
 
だけど本気になって取り組まなければならない課題に立ち向かった時、人は本当に心の底から魂の力を発揮して現実好転をする場合がある。
 
 
 
それは無意識的にとった行動や態度の結果であったり、日々の勉学や努力の結果であったり。この方の体験の場合「創価学会特有の念仏」だったんでしょう。
 
願望実現に至る道、その媒体としてたまたま念仏が仲介しただけで、創価学会は別に偉くとも何ともありません。全部その人の意志の力、強い想いの力です。
 
 
念仏・真言・マントラなどに特別な霊力や摩訶不思議な力は備わっていないと思うんですよ。長い歴史の中で読み継がれ、人々の潜在意識の中に深く組み込まれているから「神秘体験」として発動するだけで、念仏そのものが物凄い神秘的って意味じゃない。
 
 
じゃあ念仏を知らなかった人(唱えない人)、創価学会に加入していない人、宗教をやっていない「無宗教の我々」は神仏に選ばれてない鈍くさい人ってこと?(笑)
 
神秘体験を起こす力は誰にでも備わっていて、それを宗教や神仏などのフィルターにかけて現実を見てしまうから創価学会を有難がってしまうんですよ。
 
 
意志の力、魂の力、直感、霊感というのは誰にでも多少備わっているもの。本気で誰かを、何かを思ったらきちんと現実は叶えられる。
 
 
 
これで創価学会などのカルト宗教がきっかけとして神秘体験を起こしてしまったら、あとは集金・洗脳システムに一気に取り込まれてしまいますよ。「〇〇が起きたのは××教のおかげ!◆◆宗のおかげ!」と。
 
 
人は誰でも自分の人生に物語性を感じて生きています。彼らは「物語」を利用するんですよ。自分の人生に外部からの説明は不要ですからね。余計な説明をせずに薄っすら表面的に良い事言えば商売が成立するのです。
 
 
読んだら普通に感動したけど、創価学会関係無くない?(笑)

 

選民思想は全てカルト!神仏は人を選ばないはずでは?


本当は誰もが「嘘」だって分かっているんですよ。心の奥底では。魂はとっくに見抜いてる。
 
 
でも何かにすがりつきたくなって執着して自分の現実を変えたくて、それでも変わらないからあちこちの宗教彷徨ってお金と時間奪われて、ますます現実がどん底になって。
 
 
 
そこでようやく自分の魂の力が発揮されてるんですよ。「いよいよ本気にならないとヤバイよ」とその人自身に問いかけているかのように。だけど顕在意識から見た現実ではカルト宗教の念仏でさえも有難く見えて、結果、世間から猛烈に反感を買ってるカルト宗教でも感謝して使ってしまう。
 
 
恐らく、顕在意識が見てる現実と潜在意識(魂の領域)が見てる景色は違う。
 
 
スピリチュアル業界的に言うなら「数々の困難は魂を成長させるため…貴方を成長させるため…(なのでウチに加入しましょう!是非!集金チャンス♪)」的な勧誘をするのですが、魂に成長の概念なんて無いでしょう?馬鹿で無知で幼稚な魂なんてありますかね?(笑)
 
だって、魂ですよ?って思うんですけど。そこは人智の及ぶ場所じゃないし顕在意識を完全に掌握してるでしょう。
 
 
起きている間の行動の9割以上は潜在意識からの操作で日々の行動があるんじゃないかと思ってます。
 
 
 
こうやって各種カルト宗教に取り込まれるのも、「魂の成長」なんでしょうかね?(笑)顕在意識(自我)であれこれ考えているから余計な遠回りして余計な現実を背負ってるだけでは?…と感じますが。
 
 
以前真如苑関係の記事を書きましたが、2世3世になるとカルト宗教の世界観で暮らすのが当たり前になるから脱出が余計困難になります。
 
 

 
カルト信者にもそれぞれ人生どん底の不幸があって、何かのきっかけで現実が変わって、その宗教生活が無いと生きていけないと勘違いするようになったんでしょう。
 
ただの勘違いです。勘違い。誤解です。不幸なんて大小それぞれ誰にでもある。
 
 
現実好転方法は自分自身の意志・魂・精神・直感。方法なんて後から勝手に閃いてくれます。魂のひらめきに気づけばいい。自分の内面をいまいちど見直して、冷静に地に足つけて余計な思考を消すほうが先。
 
 
余計に遠回りするから余計な問題ばかり重なる。一度入信したら脱会は困難。弁護士か被害者の会などに頼らなければならなくなるからますますお金と時間と体力が奪われてますよ。
 
 
念仏・仏教の話題になると日本人はどうしても長い歴史を想起させてしまうから有難さを覚えてしまいます。新興宗教が有難いわけないでしょ?(笑)
 
 
仏像や御神体(?)とか何やら有難く見える媒体を入手すると、外部に祈る対象が出来て神秘体験との距離感が近く感じてしまい、媒体を販売する宗教団体との繋がりを「運命」だとか言っちゃうんです。
 
 
極端な話、プリキュアや初音ミクのフィギュアに祈っても叶うんですよ(笑)だけど美少女は別に神仏のような有難さが無いから祈る媒体に使わないだけで。本気で問題を解決したいのなら本気で祈れば良いので対象はフィギュアでも仏像でも関係ない。
 
 
 
宗教団体はそこを上手く商売します。
 
「説明出来ない有難さ」「運命という物語性」「人生のどん底感」「良い事あったら〇〇のおかげ」「権威主義」な要素が必ず含まれてます。一度は誰でも経験あるはずなんですよ。具体的な説明をしないまま、その人自身の意志の功績を自分たちの団体の効果にすり替えています。
 
 
彼らは本当のことは何も説明しません。だってその人らの潜在意識や魂の力を利用しているから。「誰の人生にもある不幸」「問題解決力」を利用しています。
 
 
 
芸能人とカルトの関係は未だに心に引っかかる問題。

 

御本尊や御神体が無くても私達は生きられる。


「〇〇に入れば良いことある」?なぜ他人が決めるんですか?自分の幸不幸は自分で決められる。加入しない私達はずっと不幸ですか?加入しないと自分で良い事悪い事を決められないんですか?
 
 
「私達は△△に選ばれた!」?神仏は特定の人間だけ厳選して救うんですか?神仏が「世界は滅ぶから××教の皆だけに特別サービス!今だけ!」するんですか?(笑)そんなわけないでしょ。
 
 
 
神仏があの世の世界(?)に本当に居住してるかどうかは知りません。しかし数々の神仏は人間の多面性ひとつひとつを表現しているように感じます。
 
 
誰にでも直感は霊感はある。新興宗教を頼る必要は無い。念仏や仏像は人間の内面の奥深さを表現する媒体に過ぎず、潜在意識(魂)の世界を仲介する一時的な拠点。
 
 
カルト信者の理論だと、加入しない無宗教の私達には直感も霊感も備えてない、神仏にも選ばれてない可哀そうな人間の集まりという現実に見えてるのかも知れませんが。
 
教養として仏教・密教・キリスト教などを知るのは素晴らしい行動ですが、何事ものめり込みは良くないでしょうね。
 
 

黒塚アキラ

不幸のどん底で恵まれない人生は誰にでもある。でもそこから這い上がったのは自分の行動・精神力の結果。自分を誇っていい。カルト宗教の効果のおかげにする必要は無い。

 
ここまで記事を読んでくださってありがとうございました!
 





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