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【日本人の霊性】禊祓詞(天津祝詞)大祓詞・最要祓を奏上する敬神生活の開始直後に高熱!?

神棚を設置し、祝詞を奏上する生活をしています。

敬神生活は精神が安定します。心が落ち着く。

 

こんにちは、黒塚アキラ(@kurozuka_akira)です。

2017年に入ってから急に、「神棚を設置したい」という衝動に駆られました。

今までいわゆる宗教というものから遠ざかっていたのにも関わらずです。

これも直感なんだろうと思います。

 

 

神棚を設置したからには祝詞も一緒に唱えなければなりません。「日本人」として出来ることはないか?そう考えた時に「神棚」と「祝詞」のことを思いつきました。

 

 

日本の現代社会が失ったものを取り戻すだけで、こんなにも生活が一変します。簡易神棚を購入してからは、ほぼ毎日祝詞を唱えています。

 

「禊祓詞(みそぎはらへのことば)」を唱えるのと同時に、「大祓詞(おおはらへのことば)」を唱えることが重要です。どの祝詞も、意味を知りながら唱えると効果が断然違います。

 

自分の霊性を高めると同時に、日常の罪・穢れを祓うことにもなります。

 

 

しかしそう簡単に上手くいきませんでした。敬神生活を手に入れた!と思った矢先に高熱が出て一週間ほど休みました。

 

新しいことを始めると高熱が起こったり身体がだるくなるのは、一体なぜなんでしょうか。「あじまりかん」を唱えた時も高熱が起きたので不思議です。

 

 

いつも熱がでる不思議。面倒な体質です。

 

 

今まで「宗教」を避けてきましたが・・・

 

これまで宗教生活は避けてきました。以前神棚や宗教(カルト)で散々揉めた過去があり、関わりたくなかったのです。あの時ははっきり「カルト」だというのはわかっていました。

 

 

今回は、日本人が今までの長い歴史の中でやってきた習慣を実行に移すだけです。全くの別問題というのはわかっています。

 

 

昔リゾートバイトで働いていたときに、カルト宗教の勧誘をされました。「宗教」と名の付くものにはかなり警戒しています。だからこそ、本当にカルトとは見分けをつける意識を高めるようにしています。

 

 

その時の記事はこちら。

 

いまとなっては神棚を設置する家庭は減ってきています。友達や親戚の家に行っても、仏壇はあっても神棚はあまり見たことがありません。1~2件くらい?しかありませんでした。

 

 

日本史のほぼ8~9割の時代の中で、神棚を設置するのは当たり前のことで、その文化は脈々と受け継がれてきていました。先人たちが当然のように行ってきたことを、なぜ私達はやらなくなったのでしょうか?

 

1日2回祝詞奏上中。

 

そう考えた時に、豪華でなくても構わないから神棚を設置してみようかな?と思い立ちました。何万もする神棚があったり、お供え物をする形式も販売されていました。さすがにそこまでの出費は今は出来ません。

 

神札をさすだけの簡単な設置なら今の予算内ですぐに出来ますから、まずはその程度で始めてみようと思います。

 

 

今は禊祓詞(みそぎはらえのことば)の天津祝詞(あまつのりと)、大祓詞(おおはらえのことば)、ひふみ神文(しんもん)、神棚拝詞を中心に祝詞を唱えています。

 

また、大祓詞は長いので忙しいときには最要祓(さいようのはらい)という、大祓詞の全文を奏唱する暇が無い時に読んだりもしています。

 

 

これらはまず日課として既に始めています。その他、神社参拝時などそれぞれの目的に合わせてこの祝詞集に載っている祝詞も唱えていく予定です。

 

祝詞の効果で高熱!?ただの不摂生!?(笑)

 

実は禊祓詞を読み始めてから2日目で急に熱が出ました(笑)何となく朝ダルいと思っていたら高熱でした。ただの不摂生なのか、それともスピリチュアル的なデトックスなのか・・・?

 

 

2016年の年末年始は寝て過ごしました。せっかくのお正月を風邪でダウンしながら過ごしていました。今までの風邪と違い、段々熱が上がり、その後は上がったり下がったりとひたすら熱だけの症状が続いていました。

 

 

この熱はかなりつらかった覚えがあります。もしこれが祝詞の効果だとしたら恐ろしいことですね。その後、毎日祝詞を唱え続けていますが特に体の変化はないみたいです。そもそも向いていないのか、好転反応なのかは不明です。

 

 

また、「あじまりかん」を唱え始めたら翌日から急に高熱を出したことがあるので、こういった現象が2回も続くと不気味です。元々持っている体質なのでしょうか?

 

意味がわからないです。霊感なんて無いのに。その時の内容を記事にしていますのでご覧ください。

 

一体なんだったんだろうか。謎の発熱体質(笑)

 

祝詞奏上は敬神生活の第一歩。

 

2017年、日本人が古来から行ってきた敬神生活を行うことにしました。予算内で出来る限りのことしかやっていません。物理的な利益が保証されているわけでもありませんが、やりたくなってきたんです。

 

これも日本人としての目覚め・再発見の一つだと思います。

 

 

日本人だなんだと偉そうに言える身分ではありません。古来の神様を当たり前のように敬っていく生活を始めなければ、今後自分の生活が成り立たなくなるのでは?

 

危機感があり始めたことです。カルトにしがみつくのではなく、まずは自分の生活を頑張りながら神を敬うという心掛けを持ちながら過ごしていきたいです。カルトではなく、正しい教えを知りたいです。

 

 

祝詞を唱えないと調子悪いような?気のせい?

 

京都の伏見稲荷大社で神札を購入し、簡易神棚に入れて飾っていました。祝詞集も一緒に購入し敬神生活を開始。忙しくて時間が無い日もあったので必ず毎日とはいきませんでした。

 

 

唱えたり唱えなかったり、という事もしばしば。自分の意思で始めた習慣ですから、祝詞を唱えないとなんかメリハリが足りないというか・・・。毎日がテキパキと片付かないというか。ダラ~ッとしてやる気も出なくなります。

 

 

誤解のないように言いますが、祝詞を唱えたら確実に毎日幸せになるとは限りません。一切の不幸が無くなって幸せ!ということを保証するためのものではありません。単純に祝詞のせいにするべきではありません。

 

 

「なんとなく」でしかないんですが、祝詞がある日と無い日では「なんとなく」気になります。祝詞を唱えることで日本人としての自覚が芽生えてきました。何事も面倒くさがらずに最低限の日課をこなすのが一番ということです(笑)

 

 

感想:敬神生活や祝詞奏上は日本人として気を引き締めさせてくれる。

 

ここまで記事を読んでくださってありがとうございました!




 

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