【勉強】マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの教えと言葉(2)自分なりの解釈・誤解の危険性

有難い文章を読んでも翻訳によって歪められる。

原文で読めない私達は誤訳の可能性に注意する。

 
こんにちは、黒塚アキラ(@kurozuka_akira)です。ラマナ・マハルシ氏の言葉を学ぶ記事2回目。不定期投稿で地道に勉強していきます。常に自己改革。常に意識変革を続けたいですね。
 

 

意識改革、魂の目覚め、精神変容のためにラマナ・マハルシ氏の言葉について少しずつ学んでいます。

 

不定期投稿ですが一体どこまで続くのか…(笑)とにかく自分が出来る範囲で地道に一歩ずつ取り組んで、意識向上に努めます。真実探究や歴史浪漫考察も面白いんですが、私がいちばんやりたいのはこういった魂の目覚めに繋げるための学びです。

 

 

前回投稿した記事はこちら。

 

今回は「翻訳による誤解の危険性」について。

 

これはラマナ・マハルシ氏の著書だけでなく全ての古典に言えることです。日本語が原文の古典なら特に問題無いのですが、外国語だと必ず翻訳されなければ読めません。

 

しかしそこで誤訳が発生していたら私たちはもう手に負えないのです(笑)だって原文は読めないから。日本語が原文の、「目覚め」に関する本を是非読みたい所ですけど似非スピリチュアルが多くて全然辿り着けない…。

 

 

ラマナ・マハルシ氏の言葉を学ばせてもらっています。

http://maharishi.web.fc2.com/letter02.htm

 

翻訳が間違っていれば正しく解釈することはまず不可能だし、そもそも「正しい解釈」が出来ているのかも分かりませんよね。

 

知恵のある本から知識の無い読者へ向かって英知が流れ込んでいるのですから、知恵の格差がある以上どうやって本当に正しい意味での解釈が行えていると判断出来るのか…。「学ぶ」って本当に難しいです。

 

 

鵜呑みや無理解は真の解釈とはいえない。

余計な妄想は排除して言葉をありのままに読み取る…これが私達読者に与えられた作業?

 

気に入った本は何度か記事として投稿しているんですが、「ヒマラヤ聖者の生活探究」系の記事ですら、腑に落ちるまで時間がかかりました。

 

「ヒマラヤ聖者の生活探究」の記事はこちら。

 

「いつか理解できるかも…」という方向性は必ずしも間違ってはいないと思いますが、しかしその「いつか」を早く起こすには腑に落ちる瞬間が絶対的に必要で、常に周囲の現実から情報を読み取れる繊細さと気づきの力が大切な要素です。

 

 

元々目の前に広がっているありのままの現実を、数々の賢人があの手この手で言葉を変えて喋っているだけで、そろそろ私達はその現実に気づかなければなりません。

 

自分の心が妄想を作り出し、夢を見ている状態に自分自身で催眠をかけている事に気づかなければならないのです。

 

 

一部引用はこちら。

学び手である私たちはみな、教えの言葉を自分なりに解釈しているのではないでしょうか。解釈を避けるべきだと言う人自身も、やはり教えを自分なりに解釈しているはずですし、無意識のうちに自分勝手な解釈に固執しているということさえあるかもしれません。にもかかわらず、解釈することを毛嫌いし、自分はいかなる解釈も加えていないと思い込むのは、きわめて危険なことです。

 

言葉を文字どおりに受け取ることが、解釈をしないということなのではありません。文字どおりに受け取ることもまた一つの解釈です。自分はいっさい解釈を加えていないと言い張っても、言葉を聞いて何らかの意味に取ること自体が解釈するという行為にほかならないのです。

 

言葉の意味を理解するとき、私たちは必ず解釈をおこないます。ふつう、言葉は、言葉そのもの(語の音や文字の形)を伝達するためにあるのではなく、言葉に託された意味を伝達するためにあります。言葉は意味を伝達する媒介にすぎません。

 

伝達されるのは、言葉を介して伝達されようとしている意味内容であって、言葉そのものではありません。語り手は、物事を言葉を用いて相手に伝えようとします。伝えたい物事を言葉に託します。言葉に置き換えます。

 

逆に、聞き手は、その言葉から、語り手が伝えようとした物事を読み取らねばなりません。言葉に何が託されたのか、言葉が何を指し示しているのか、それを探らねばなりません。つまり、言葉の意味は、その言葉が何を指し示しているのかを判断する行為、すなわち解釈なしには把握することができないのです。言葉は、解釈という行為がなければ、ただの音声として聞き取られるか、文字の形として見られるだけです。

 

原文で学ぶ人々は、マハリシの言葉に直接当たるかぎりは、マハリシの言葉をそのまま受け取ることができますが、翻訳をとおして学ぶ私たち日本人は、日本語で学ぶ以上、マハリシの言葉に直接触れることはできません。

 

日本語で学ぶ教えは、訳者という媒介を経て伝えられる教えです。ですから、訳者という伝達者が、その伝達の仕方を間違えば、つまり誤訳すれば、日本語で学ぶ人々は最初から歪められた教えを学ぶことになります。

 

歪められた教えに触れる機会が、原文で学ぶ人々よりも一段階早く訪れるのです。翻訳によって学び、翻訳によって教えるしかない私たち日本人は、翻訳について真剣に考えるべきであり、翻訳による教えの歪曲という問題を明瞭に自覚していなくてはなりません。

 

私たち日本人は、翻訳で学んでいるという事実、あるいは翻訳で教えているという事実を忘れるべきではありません。そして、翻訳は訳者による解釈の表明にすぎず、訳者の解釈には誤りがあるかもしれない、ということを決して忘れるべきではないと思います。

 

 

翻訳でしか学べない人は、訳者の仕事を利用する必要はあっても、訳者に自分の運命をゆだねるべきではありません。翻訳で学んだり教えたりするすべての人が、この点をはっきりと自覚すべきだと思います。

 

 

マハリシは翻訳について、「翻訳は訳者の意識によって規定されます」「改善し続けなさい」と助言したことがあるそうです。いずれも常識的な部類の話ですが、この指摘は重要だと思われます。マハリシの言葉であれ、誰の言葉であれ、私たちは、それを完全に理解できるはずもなく、不完全な理解を土台にしてなされる翻訳が完璧であるはずもありません。

 

私たちは、教えの言葉の意味が、何か固定的なものとして、語り手や聞き手から独立して存在しているかのように考えがちです。

 

だからこそ、解釈を加えなければ正しい意味がおのずと浮かび上がってくるにちがいない、という発想が生まれるのではないでしょうか。まるで問題集の解答欄のように、どこかに正解が存在しており、それを参照すれば済む、という考えが生まれるのではないでしょうか。

 

 

解釈を排除しようとする態度は、知的理解の軽視につながり、結局は、無理解を志向することになります。

 

教えの言葉は理解しがたいから今は理解できなくてもかまわない、そのうち理解できる時が来るにちがいない、理解できないのだから丸のみするのが一番いい、そういう発想を生むでしょう。

 

そして、教えの言葉の意味が分からぬまま、ただ記憶したり再生したりする、ということがくりかえされます。それでは、まるで機械であり、英知(intelligence)のかけらもありません。

 

創造的な英知を開花させるはずの教えを学ぶ者が、英知を失い、ますます機械的になってゆくとすれば、それは何とも滑稽なことではないでしょうか。

 

「今は理解出来なくても構わない」はつまり後回しの精神。「いつか分かるかも」は真の学びへの姿勢から程遠いものです。

 

いつか分かるかも、で本当に後日理解できる瞬間があるのは誰にでもあるかも知れませんが、意識向上・精神変容の魂の目覚めの分野においては後回しの精神は許されないのかも。

 

 

正解は無いし誰も教えてくれないし、そもそも賢者が持つ理解を読者の頭にそのまま流し込むことは絶対不可能。だから私達は賢者の言葉のなかに一体どんな意味が含まれているのかをじっくり考えなければならないんだと思います。

 

つまり、「目覚めたいなら答えを人に聞くな」ってことですね(笑)

 

勝手な妄想がどれだけ滑稽なことか。

芸能人の病気公表を求める姿勢も下世話で大嫌い。

 

有名人がわざわざ病気を公表するのは、同じ病気にかかっている患者に希望を与える側面もありますが、たいていは下世話な自称ファン噂好きのアホ「知る権利」を行使してSNSで押しかける嫌がらせから身を守るためでもある(笑)

 

病気を公表するかはその人の自由。他人に私生活を教える義理はありません。

 

 

 

そもそも「憶測や噂が蔓延するから…」と理由で私生活(結婚・離婚・病気など)を公表する理由は無いですよね。

 

本当のファンなら結婚・離婚・病気でもついてきてくれるものだし、いちいち私生活を知り続けなきゃいけないならファンでも何でもない(笑)憶測・噂を流行らせる下品な人間性を持つ人間が「ファン」を名乗らないで欲しいですね。

 

内なる静寂さに目を向け続ける日々。

誤解が誤解釈を生み妄想を生み出すのなら、最初から思考の静寂さを保つ。

 

どうしても私達は翻訳者に頼らなくてはなりません。そこは絶対変えられない事実です。残念ながら(笑)

 

翻訳者の誤訳に負けず、どうやって誤訳の壁を乗り越えて原文が持つ意味を獲得できるのか?それは読み手の意識にかかっているし、「いつか分かるかも」の後回し精神では絶対辿りつけない境地です。

 

 

一度読んだだけでは分からないのは当然なんだから、何度も読んで読み返して、その後いったん思考の静寂さを保ち、周囲の現実をよく見て、「腑に落ちる」瞬間に少しでも早く到達するしかない。

 

 

引き寄せの法則や潜在意識系では「願望について考えたらいったん忘れる」と言われていますが、もしかしたら多少精神状態が似ているかも知れません。

 

 

賢者の言葉を後回しにせず常に向き合うことが大事。なぜなら魂に全ての答えがあるし、自分の心の奥に魂が未だ眠っているのだから。答えは自分の中にあるのなら他人任せにも後回しにも出来ない!いま頑張っていきましょう。

 

 

常に自分の魂に呼びかけ続ける。漫画のように簡単に魂は目覚めないよ(笑)

 

ここまで記事を読んでくださってありがとうございました!


 

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