魔法使い・仙人・超能力者にならないといけない時代が始まっている。
マーベル映画の魔法じゃない方の「魔法」です(笑)
魔法に関する本は「魔術 理論編」と「魔法入門」を持っています。特に「魔法入門」は中古でボロボロなのにも関わらず高額な値段で今も取引されています。価値があるからこその値段です。
そうでなければただの古本として100円ぐらいにしかなりません(笑)
これからの時代は超能力者・魔法使いになれなければいけない時代です。とは言ってもマーベル映画特有のアレじゃないですよ。手からドカーンと火や雷が出てくるやつじゃなくて。
この世の科学技術は秘密結社由来・悪魔崇拝・カルト宗教のスピリチュアル陰謀論・悪霊か堕天使のどれかで成り立っています。
天動説を隠すために地動説に膨大な嘘設定・嘘科学を押し付けて、多数の科学技術で生活しているように見せかけているのがその証拠です。「NASAの正体は堕天使と悪霊の知識から生まれた組織の記事で書いた通りです。
私達がやるべきことは、そんな科学技術の発展に貢献することではありません。科学技術があることで毎日の生活が便利になっていることは否定できませんが、真に目覚めようと思ったら科学技術を崇拝している場合では無いです。
必要なのは堕天使・悪霊・カルト宗教・秘密結社からもたらされる小手先の変な知識や技術ではなく(笑)
「今に生きる大切さ」「自然と一体化した神性を獲得すること」「自然の意味を理解すること」「自分の運命を自分で決めること」…などなど、ではないでしょうか?
それが真の意味の魔法使い・超能力者・仙人であると考えています。マーベル映画特有のファンタジー表現のアレじゃないですよ。私達はアレには絶対なれません。
「ある日突然目覚める」という展開は至高体験・PNSEと共通していますが、映画や創作世界では主人公が全く正当な努力をしてませんよね。
魔法の力とは、その人の毎日徹底した習慣の積み重ねで発動されるものだと思います。
「神秘体験したら一刻も早く
詳細に記録=文字で固定して
記憶の捏造を許さないようにして
後日に冷静に慎重に検証と解釈せよ。
批判的な他者の評価を必ず聴け」と
西洋魔術の達人から学びました。
制御できない神秘体験とそれが増幅させる貪瞋癡は
イメージで潜在意識を操作する技術=魔法には邪魔。— 子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子) (@kitsuchitsuchi) July 28, 2018
雑。古いおうちの庭先で時折り見られる石造りの日時計や月時計。一定の時刻に呪文を唱えたり願掛けをすると魔法が発動するという設定が多いのです。それとは知らずに条件を満たしてしまい、非日常を到来させてしまう子供たちのお話もあります。微動する影をじっと見つめるのがコツのようです。 pic.twitter.com/oLwHxpVmgx
— 西洋魔術博物館 (@MuseeMagica) September 28, 2017
「神様の奇跡が起こる」「今今メソッド」などで起こる至高体験・PNSE・悟りは全て繋がっています。核心の部分は全部同じ意味です。すべて「今、ここに生きる」です。
「いま・ここ」って言うとスピリチュアル系の商売の話になりそうですけど(笑)、あれは「いま・ここ」の悪用です。全ての願望実現法則が同じ場所に行き着くのを狙って「いま・ここ」と宣伝してるだけです。
そういうわけで、スピリチュアル系の「いま・ここ」と、至高体験や悟りを経たあとの「いま・ここ」じゃ体感と理解が違うわけです。
今に生きる、今日を一日精一杯生きる、地に足つける、身の程を知る。それが自分の運命を転換する術です。
「魔術 理論編」で紹介された「1日3回の太陽礼拝」
「魔術 理論編」で紹介されていた「太陽礼拝」が印象的で、日常のなかの習慣として取り入れてます。別に「はは~っ」って土下座するやつではなくて、私はベランダに出てちょっと眺める程度でやってます。
場合によっては礼拝時間に屋内にいて出来ないときがあるし、仕事や雑務にあたっていて礼拝出来ない日もあるんで、どうしても毎日は達成できてないです(笑)あと普通に寝てたりもするんで…。本当は毎日同じ時間に徹底的にやるのが望ましいはずです。
だからといって俗世間と手を切ったり、悦楽を避けたりする必要はない。逆に、俗界でも魔術の宇宙と同じ力が作用し、それによって人間も動かされているのがわかるようになると、俗界にたいする関心はむしろ高まるだろう。こういう新たな世界観に開眼するには、一日三回太陽を軽くおがめばよい。
それにより、万有に浸透しながら日々太陽が存在することで象徴的に英気を養いつづけている、生気あふれる活力の存在を認識するのだ。
この習慣はためになる。おかげで、日々の経験のごたごたのなかであまりにあっさり忘れ去られてしまう生の非肉体的な面を思いだすばかりか、時の流れを意識するようにも鍛えられるからである。
この呼び名にはたいへん印象的な響きがあるし、たしかにそういう思惑がこもっているのだが、じっさいは簡単な、自然に湧きでてくることも多い祈りにすぎない。これをやるには日の出の方角を見つめなければならないが、それが無理なら顔を東に向けるだけでもかまわない。
では、太陽が生き生きした新鮮な活力を、宇宙の欠陥やわが身にくまなく注いでいるようすを想像されたい。
すなわち、魔術師は心を非物質的な存在様式に合わせてあるので、影響をおよぼすものを知らず知らず引きよせたあげく、その感化を受けてしまうきらいがあるのだ。
だからこそ魔術師は、なるべく受け身になるように精神を鍛えあげるとはいえ、いつもその手綱は引いておくように心がけるのである。
礼拝の大いなる恵みとして最後に挙げておくべきは、礼拝をやっておけば確実に、人間界で一日仕事に精を出すあいだ、功徳(くどく)を恵んでくれるものだけに取りまかれるようになるのである。
森羅万象が大本で一体化していることをしかと自覚するためで、これは古代ギリシアのエレウシスやアレクサンドリアで活動した有名な密教一派の大いなる密儀であった。けれども自然の意味を追求するうちに、意識のある心など瞠目すべき世界のほんの一端にすぎないとだんだんわかっていくだろう。
そこには個人の潜在意識も、自己のなかで一体化した部分に含まれるのだから。
…というわけです。
カバラの魔術の本なので、翻訳者周辺もカバラ関係者でしょう。
こういった魔術本を翻訳する集団も正直怪しいものです(笑)正統な知識があるからこそ正確に日本語に翻訳出来るし、そうでない人が魔術本を正確に翻訳するのは困難で、チンプンカンプンな内容になるはずです。
魔術やオカルトに興味がある程度じゃ翻訳のツテは貰えないと思います。単なる語学の問題だけではないはず。
そんなことを考えました(笑)翻訳者たちの真実は知りようもないですが、知識として1日3回の太陽礼拝はまさに「いま、ここを生きる」にふさわしい習慣です。秘密結社は魔術的習慣や知識に長けているんでしょう。
秘密結社は知識や技術や人脈などをこっそり秘密に保持しているから秘密結社で、別に存在自体を隠してはいないです。
だって集まる時などは特定の場所に建物を建てなくちゃいけないし、それは秘密に出来ないんですから(笑)「秘密結社なのに目立つ場所にあって存在バレバレじゃん!」は全く意味のない屁理屈です。
アファメーション・スワイショウ・呼吸法に太陽礼拝の習慣を追加してみる。
太陽を拝むのは別に宗教でも何でもないです。宗教が信者を囲う技として太陽礼拝を手段として使うことはあるかも知れませんが。
人によっては祝詞を唱えたり、一緒にスワイショウをやる人もいるかも知れません。瞑想や深呼吸をする人も。自分に合った太陽礼拝を編み出すのがいちばんです。
自分の身体は自分がいちばん分かっているのですから、おのずと「しっくりくる」やり方は見つかるはずです。
ひふみ祝詞
戦前は普通に、子供の頃から、おじいちゃんやおばあちゃんに「ひふみ祝詞」を教えられて、唱えていたそうです。
太古以来、戦前位までは、「日拝」の行事は伝えており、
朝、目が覚めて、顔を洗ったら、すぐ外に出て、
お天道様(太陽)を拝し、その後、ひふみ祝詞を唱えて
太陽のエネルギー— かよ九八九🌏🌱 (@111mrymkyk111) October 6, 2021
各種願望実現法則で「いま・ここ」を終着点とするのは、結局人間の身体・精神の目覚めの中心が「今」しかないからだと感じます。
それが上手いことスピリチュアル系カルトや陰謀論カルト系とごっちゃになって混同させて商売しているので、人々の目覚めが遠くなるのです。本当に余計なことばっかり(笑)
実際、本当に心から真剣にまっとうに目覚めを求めるなら後日それは得られるんでしょう。
手段としてカルト的信条を使うと「〇〇教のおかげ!」と誤解させてその人をカルト信者にしてしまうのです。
逆に、元も子もないことを言うと、目覚めに必要な手段はカルト的な念仏や呪文でも何でも目覚められちゃうんだと思います。本当に必要なのは真剣さ、それだけで。
心から真剣に求めれば神様の奇跡は起こる。それが魔法なのではないかと思います。
カルト宗教は時折真っ当な習慣を紹介する事で信者を囲ったりするので、礼拝=カルトではないです。自然にあるものを当たり前に感謝する、自分がいま生きていることに感謝することはカルトではありません。
ここまで記事を読んでくださってありがとうございました!